そもそものきっかけは吉祥寺のバー『Woody』のマスターだった。
「Kさん、ジョージズバーのマティーニって飲んだことありますか?」
そう人懐っこく笑う髭のオーナーバーテンダー、田中さんの言葉に誘われて、ジョージズバーのカウンターに座ったのは次の土曜日だった。

ウチのマティーニはね、進駐軍のお客さんから教わったんですよ。
若けぇ時に新橋の下士官クラブで働いてたんですけどね。
二年間追い回し(下積み)をしたあとやっとカウンターにたてましてね。
……まぁ生意気盛りだったんでしょうか、いっぱしのバーテンダー気取りでね。
あるとき50がらみの軍人さんがお客さんとしてやって来てね、
私を見て、「マティーニはできるか」って聞くんですよ。
もちろん、ってなもんで作って差し上げたら、
一口飲んだだけで今度は、「エンプティ・グラスをくれ」って言うんですよ。
で、空のグラスを渡したらね、マティーニの中身をグラスにあけてね、
カクテルグラスを逆さまにして、タンッとカウンターに置くんですよ。
そりゃバーテンダーにとっちゃ最高の侮辱ですよね。
私も若かったから不貞腐れてなにしやがるってんで言ってやったら、
「オレはアメリカでバーテンダーをやっていたんだ。
お前にマティーニの作り方を教えてやる。材料をもってこい」
って言うんですよ……。


その時に習ったのがこのマティーニなんです。

ジョージさんの作るマティーニはやわらかい。
切れ味鋭い飲み口はともかくとして、キリリと冷えたジンをいつまでも美味しく冷えたままで、という気配りから使いはじめたというシュリンプカクテル用のグラスを使用する心配り、流れるような手捌き、そこはかとない上品さが漂う江戸弁、ベルモットとオリーブの香り、レモンピールをする指先の優美さ……切れ味だけではない、やわらかなそれでいて凛としたたたずまいがあるように思えるのだ。

味わいつつ飲んでいると、いたずらっぽい瞳でジョージさんが
「ジルベルトのマティーニもできますけれど」と言う。
ロンドンのデュークホテルのバーテンダーだったイタリア系移民のジルベルトが、サンデー・サン主催のマティーニコンテストに出場した際に作ったという、特に辛口のマティーニ。
そう言われたからには戴きたいものだ。
…………。
翌日起きると気怠くも甘美な寝覚めと、あやふやな記憶。
突き刺さるような爽快なマティーニだったような覚えはあるのだが……。

第六回 「ダイキリ」
第五回 「ウェブマスター」
第四回 「モンキーズランチ」
第三回 「ジルベルトマティーニ」
第二回 「ミントジュレップ」
第一回 「マティーニ」