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2006年03月27日

あースッキリした

内田樹さんという方のところから。(例のごとくsargasso経由)

内田樹の研究室: 東京出稼ぎツァー
 http://blog.tatsuru.com/archives/001625.php

レヴィ=ストロースは交換とは「交換当事者双方において、二重化された表象が共有されること」というふうに定義していた。
「二重化」という語の意味がこれまでずっとわからなかった。
ライブドアの堀江元社長の「金で買えないものはない」というメッセージが多くの若者たちに好意的に受け止められたという出来事の意味について話しているうちに、そのことがわかった。
「金で買えないものはない」というスキームの「内側」にいる限り、すべては等価交換であって、贈与の余地はない。
けれども、「金で買えないものはない」というメッセージそのものは「金では買えない」
もし、誰か「ホリエくん、どうもその言い分がわしゃ気に入らんのだ。どうかね、『金で買えないものもある』というふうにキミの発言を訂正してもらえんじゃろうか。金ならいくらでも出すよ」と堀江くんに提案した場合を想像してほしい。
そのときに、もし「金で買えないものはない」というのが汎通的な真理であると堀江くんが心底確信していたならば、ただちに「へいへい、売りやしょう。で、おいくらまでなら出せます?」と応じることだろう。
けれど、彼はおそらくその「買収交渉」には応じまい。

「金で買えないものはない」というのは彼の「パラダイム」だからである。

(強調はKQZが施した)

なるほどねー。
なんかモヤモヤが取れた感じー。
しかし二重化された表象というのはもとよりそういうものではなかったか。

でも…
値段によっては売ったのではないかとも思うのですよ。
その「値段によっては」の「値段」が法外なものであったとしても、
あるとてつもない閾値の果てであれば何のこともなく平然と売ってしまうはずなのでは、と。
それくらい彼の中にある闇はシンプルで深いものであったのではないかなぁ。
ま、なんとなく、ですけどね。(ということにしておく)

投稿者 KQZ : 2006年03月27日 21:31 | [EDIT]

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