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2007年12月13日

わけあって再掲

 ちょっと思い立って昔書いたエントリーを抜粋再掲してみます。
 訳は聞くな。

楽しいという感覚はうれしいという感情を微分したもののような気がしてきた。

今日はぼんやりとしながら「はて楽しいってなんだろう」ということを縷々考えていたのだ。
とりわけインタラクティブメディアのそれを。
「楽しい」はどこかプリミティブな根っこのところで「うれしい」につながっているような気がしてきて、
そうしたらこんな変なタイトルになってしまったというわけなのでして。

(中略)

おそらく、今の日本という場所は人類史上稀に見るインタラクティブメディアの波頭にあるはずなのだ。
なんかまとまりがつかないうちに別のことを思いついたのでいったんここは終了して次に。

楽しいという感覚はうれしいという感情を微分したもののような気がしてきたその次に

楽しいという感覚がうれしいという感情を微分したものだとしたら、
哀しいという感情を微分したら、いったいなにになるんだろう。

喜怒哀楽を感情の極とするなら、それは怒りなのかもしれないし、
そうではないのかもしれない。

とまれ、僕らはエンタテインメントの世界にいる人間だ。

楽しいという言葉にくくられるものの中には、
時に怒りや哀切に似た感覚が含まれていることくらい
とうの昔から気づいている。

そこには速度ではなく、
もう一つ微分した加速度的なものを考えればいいのかもしれない、
などと思いいたったのだ。

それはf(x)上にいる者にとって考えてみれば、
いち時間切片での減速(怒りや哀切)に振り回されてはいても、
二次微分したさきのトルクをうっすらと信じてさえいれば
そのジェットコースターを楽しむことすら許される、ということなんだろうか。

その先に待っているだろうカタルシスとしての加速と、
最後に待っているだろう明るい未来。


初出:
 http://www.authenticbar.com/kqz/days/archives/001049.html
 http://www.authenticbar.com/kqz/days/archives/001050.html

投稿者 KQZ : 2007年12月13日 02:28 | [EDIT]

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