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2006年02月24日
売りから入る幸福デリバティブ
ま、大した内容ではない。
以前にも書いたSargassoというソーシャルトラストネットワークなるもので今日一番初めに飛び込んできたblogがコレ。
内田樹の研究室: 不快という貨幣
http://blog.tatsuru.com/archives/001572.php
うん。
面白い。
概要はというと、
いわゆる「働かない」人々について
彼らはそうやって学校教育からドロップアウトした後、今度は「働かない」ことにある種の達成感や有能感を感じる青年になる。とした上で、
だが、どのようなロジックによってそんなことが可能になるのか。
「家庭内での忍従」を「等価交換」したものを「価値」すなわち「不快という貨幣」と感じているのではないか
とおっしゃっている。
(たぶんね。詳しくは引用先のblog参照のこと)
でもそういう心の動きは過去から現在まで結構普遍のものではないかなぁ、とも思うのだ。
それは「現在自分が置かれている状況」と「本来の自分がいるべき(はずの)状況」との差をもって価値と感じるという、実情とは関係のないいわばテクニックの問題なのではないかと思う。
株式市場が下がっている状況下でも売りから入れば儲けられるというのと同様にね。
脳内お花畑の万能感を心の糧に生きている人もいる。
宗教的なランクが上がるからといって生活を切り詰めて良くわからない壷を買うような人もいる。
空ろな目で前世の冒険譚を嬉々として話す人もいる。
(もっとも、それらが実生活へと結びつく回路を構築できれば作家なんかになれるんだろうけどもね)
いや、いや、そういう特殊な話ばかりではなく、卑近な例で言えばちょっと前に書いたエントリーでもこんなことがあった。
- (寒い中、六本木の交差点付近でのこと)
「南米系の太ったおねーちゃんはこの寒い中素肌に黒の太リブ編みの小さめのカーディガンを着ただけでへそを出して歩いている」
のを見て、 - 人間は「本来自分がいるべき場所」というイメージにとらわれてしまうもの
- 夏のオフィスで冷房設定が23度でもシャツ一枚で気分良く過ごせるのに、冬の暖房だと28度でもセーターが脱げないのは「本来は35度だから」「本来は零下2度だから」というイメージが関係している(はず)
- 「幸せぽかぽか家族」とかいうテレビ番組で、海外に移住している日本人一家をよく登場させているけど、思いのほか小さな家にニコニコ住んでいる人たちも多い。これはもしかしたら「本来は」というイメージが「リゾート地でホテルに泊まれば●円なのに、俺は毎日住んでて●円なんだからお得だ」という感じ方が働いているからではないかなぁ
- この南米のお姉ちゃんも、きっと昼にママンからかかってきた電話で「コッチはめちゃくちゃ暑いのよ。お隣のジョセフの牛が熱射病で死んじゃったくらい」「ホント? Tokyoは雪が降りそうよ」「いいわよねぇ。ママンも雪ってやつが見たいわよ」とかいう会話をしてしまったのだろう。『自分が本来いる場所は酷暑→しかし私のいるところは涼しい(ホントは寒い)→リゾートにいるってカンジ!』てなことなのか。ま、妄想だけどな。
つまり、
「どう考えても寒いだろコレ」って気候でも「なんかリゾート気分(はぁと)」と思っている幸せそうな南米娘の図式と、
「本当の自分」つまり「幸せであるべき自分」と、今現在の「忸怩たらざるを得ない自分」との差を価値として見出している青年という図式とに、
本質的な差はないのではないかなぁってことですね。
とまれ、信用取引の場合、売りから入るのはいいけどどこかで買い戻さないと利益は確定しないんだけどね。
その破綻が本人にも見えてしまっているのが悲劇の根本なんだろうけど。
※ゲーム内のバーチャルな通貨をリアルなお金に換金する輩もいるけど、それはそれでまた別の問題
思わぬ展開のエントリーになっちまいましたが、なにはともあれ、普通に生活していれば絶対に読むことの無さそうな学者さんのblogに引き合わせてくれたSargassoさんには感謝しておきましょうっと。>鈴木健さんと須子善彦さん、あと紹介してくれたshi3zさん
投稿者 KQZ : 2006年02月24日 11:14 | [EDIT]
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