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2006年10月23日

極個人的メモ20061023

週が明けたらなにかとアレだったので参考になるところらへんをまとめてみたりする。


bewaad institute@kasumigaseki(2006-10-23)
■ [WWW][media]追い詰められたYouTube、あるいはGoogleが2,000億円の価値を認めた理由に関する一考察

 http://bewaad.com/20061023.html#p01

今まで場当たり的にうだうだ話してたけど(Link123)、今度youtubeについて人に聞かれたらここを紹介しようっと。
制作者サイドの意見と、広告掲出サイドの意見が網羅されてないけど普通の場合には問題なしかと。


これに関連して、近頃やっとblog復活された境さんのとこから。

境真良(実名登録)の  “とりあえず、前進!”
- テレビの資産価値基準策定、頑張れ、

 http://d.hatena.ne.jp/masays/20061020
- 嘘か真か?音事協、起死回生のイッパツ?!
 http://d.hatena.ne.jp/masays/20061022

我が国の地上波テレビ放送の質の高さ(特にバラエティね。というかくだらないモノの質だけに限っておくか)について、日本独自の環境を織り込んで誰か書いてくれてないかなーとか思っていたのですが、あまりないみたいですな。
なんというか、日本だと東京弁or関西弁で作れば100%流通するけど、アメリカあたりだとスペイン語とかで十二分に市場として成立してしまったり成功できたりするから、コンテンツ制作者に必ず内在する向上心(功名とか)が満足できちゃったりするような気がしてるんですが。
あ、こういうのもあったか。

ま、堺さんもblogを書く時間が取れるようになったみたいですので例のメシ会を復活させましょう。(と、ここで書いてどうする)


内視鏡3――モードとメディアの死:阿部重夫編集長ブログ:FACTA online
 http://facta.co.jp/blog/archives/20061023000263.html

いまのメディアの最大の病は、自分の死を感受できないことだ。

感受は「甘受」でもあるよーな。メディアが大人であるならばだけれども。
内容の真偽や世論をどっかにドライブしていこうとするなにかしらの意向については触れないとして(おい)、この数日のきっこの日記のやりとり(1234)は、日本のメディア史には残るはずである。
(あくまでも現象として、ね。プロパガンダ手法として残るのかもしれないのは言うまでもなく)
ということで備忘録的に残しておこうっと。

   ←うひゃー


内田樹の研究室: 学校のことは忘れて欲しい
 http://blog.tatsuru.com/archives/001961.php

たこ焼きが食べたくなった。

 


発想七日!
 文章は、頭のなかで完成させてから書くべきか

 http://blogs.itmedia.co.jp/koji/2006/10/post_b5f9.html

ワードプロセッサはセルフKJ法としての使用法しか思いつかないのです。
もっともこれは過去の自分とのコラボレーションだったりしますが。
#「夜書いたラブレターは翌朝もう一度読め」の法則
また「脳内の自分」と「(数瞬後)打ち込んだ文を視認した、対峙するその先の文章の中の人(=自分)」だったりもします。
ま、いうなれば既に確立されている語学学習メソッドとしてのLL法だったり、週刊少年ジャンプの広告でおなじみのキオークマンと同じですかな。

 ←探してみたらまだ売ってた

投稿者 KQZ : 2006年10月23日 18:32 | [EDIT]

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