2006年03月31日

コピー機の受難

前に書いたエントリーの証拠というかなんというか。(情報提供:chemise氏)


    コピー機修理担当者の告白--悪ふざけもほどほどに - CNET Japan
     http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20091603,00.htm

    ロンドンにあるキヤノンに勤務するTim Andrewsによると、「毎年、正月明けは、コピー機のガラス交換で忙しくなる。多くの場合、『臀部のコピー』が原因だ」と述べる。

その証拠ビデオがコレ。
look at this fool
 http://www.youtube.com/watch?v=I6kkPP6aMhA

アホすぎる……w


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2006年03月03日

色々な再会

一個前のエントリーからの流れです。

ここんとこblogの更新が途絶えていたにもかかわらず、mixi内ではちょこちょこと書いていたりもしたのでした。
ひとつにはmixiのケータイでの諸操作のしやすさが理由として挙げられるのではありますが、それにもまして周囲の反応の速さと濃さが実にしっくりと来るわけなのです。
マイミクが100人ちょっとで友人限定のアクセスにしているにもかかわらず、一日平均4,000PV(なんかの拍子にすぐ10倍になったりするが)のこのblogよりも速くて濃いまるで高校男子のs(ry反応が返ってくるわけでして。

そんな中でふと気づいたのが山崎晴可(やまざきはるか)氏。
なんのことなく「さすがスーパーハカー、おもしろいにーちゃんだなー」とやり取りしていたのですが、ひょんなことから「よーい・どん!- 「こころ」の中に 福祉施設は建てられる -」を書いた「徒然はるさん」その人だということに気づいたのでした。

 Link→ http://www.nda.co.jp/tsurezure/990512.html

確かこれを読んだ5年だか6年だか前、モニターの前でしとど泣いてしまったのを思い出します。
こういうのもひとつの再会なんだろうなぁ。

投稿者 KQZ : 01:51 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月02日

コントとかiPodとかシンクロニシティとかそこから思い出した話とか転がった話とか

ある日ある時のこと。
最近事務所ばかりではなくblogも引っ越された元・赤坂四畳半社長ことshi3zさんとチャットをしていたら、どちらともなく「Podcastingでコントとかやりましょーよー」という話になったのでした。
「んじゃー桑原茂一さんにでも話てみますかな」とかチャットしていたらばあら不思議。
茂一さんのblogにもそんなことが書いてあったのでした。

桑原茂一Diary: コメディなコント台本を募集しています。
 http://www.kuwaharamoichi.com/D2/archives/2006/01/post_76.html

2006年01月31日
コメディなコント台本を募集しています。
コメディクラブキングは日夜コメディを作り続けています。
このたび、広く多くの方からコント台本を募集することに致しました。
我こそは!と思われる方はどんどん応募してください。
採用された台本はコメディクラブキングの製作陣によって作品化され
iTunesMusicStoreやPodCastで公開されます。

まさしくシンクロニシティですかな。


ちなみに僕はclubkingの初代Web番長で、bluefilmというタイトルでは作詞(?)なんかをやっていたのでした。(ま、コントだけれども)
そこら辺のことを10年近く前にまとめた文章を見つけたので採録しておくか。

1994年8月 POPEYE だか Hot Dog Press だか Studio Voice だか SPA! だか忘れたが、なにかの取材で日本大学芸術学部講師だった武邑先生のところに遊びに行く。 そこに伊藤ジョーイが登場。当時はまだ現役のハッカーだった。やせてたし。 カラーのパワーブックをつかってネットに入るデモを見せてくれる。 Mosaic がまだ0.9でもなかったのでは? MacWeb だっけかな? "ディクショナリーをフリーで配っている"という姿勢とネットとは非常に近いのだという印象。 学生時代のネットって、めーる か えふてぃぴー か ぐーふぁー か あーちー だと思っていたものだから、HTML の可能性には目を開かされた。 とにかく残暑の厳しい頃だった。 1994年9月 雑誌の取材やら会社の仕事やらで知りあった末松アトムさんに『CLUBKING の Web を作ろうと思ってるんですけど』と構想を話す。聞くと末松さんは以前より CLUBKING や桑原茂一さんのファンだったという。 でもこの時は構想だけ。 「ウチでやらせてください、タダでいいですから」とも言ってくれたっけ。 1994年12月 当時ディクショナリーの編集長だったヒゲの服部さんを会社に呼び寄せてネットのデモ。服部さんは武邑先生の弟子だったので話が早い。 茂一さんにも話をしたりデモをしたりしたんだけど、なんかピンと来ない様子だった。 BLUE FILMなんてのはこのころだっけか? こちらに僕の書いた詞ネタの一部があります。 クリスマス~正月休み 仕方がないから茂一さんの家のマックにソフト一式をインストールしてしまう。 元旦に茂一さんから電話。ハマってくれたらしい。うひひひ。電話の向こうから佐々木潤さんの声も聞こえたような。 それからのスピードは速かった。 1995年1月 このころから結構具体的になってくる。 茂一さんと末松さんを会わせてみたり。 当時はプロバイダーなんてのもそんなになかったから、会社をだまくらかしてタダでサーバーを使うことにした。 これが www.inter.co.jp/CLUBKING/ のはじまりである。 開始時期は無理やりエイプリルフールと決定。 1995年3月 NICE-CLUBKING および NISE-CLUBKING 始動。このページを見た人は恐らく身内だけ。 1995年4月 本格運用開始。 当時レギュラーを持っていた雑誌やTVラジオなど全てで告知したので出だしも上々。 海外からの問い合わせも結構あったし、「 HTML を読んで感動しました」なんてメールも貰った。 ディクショナリーの編集部から MO を貰って、それを僕が HTML 化する、という作業がこれから数年にわたって始まるのだった。ひぃ。 「私はプロのヌードダンサーなのだが、日本で働けるクラブを紹介して欲しい」なんていうメールも飛び込んできたっけ。 それから …その後、CLUBKING は本格的に Web にのめり込んでいく。 その要因には阪神大震災という大きな事件もあったに違いない。 そしてそれが今のコミュニティ FM の運動に繋がっているのは間違いがないだろう。 bekkoame のオザケン(社長)からの強い招致活動と、僕自身の仕事の忙しさもあいまって Web が移動したのは97年だっただろうか。 なにはともあれおもしろおかしい日々は続く。


そんな昔話はどーでもいいのですが、shi3zさんとは無駄話からスタラカタッタと「iPodで同人ゲームでも作りますか」とかいう話に転がってたりして。
乞御期待。

投稿者 KQZ : 00:04 | コメント (0) | トラックバック

郵便配達は二度ベルを鳴らし、釣りキチ三平は二度針を振るう

※1/26に書いてた分

進行中のスレだがこれは素晴らしいとしか言いようがない。

姉貴に嫌われた・・・タスケテ
 http://blog.livedoor.jp/guideline/archives/50022553.html

姉貴に嫌われた・・・タスケテ14 ~番外編
 http://blog.livedoor.jp/guideline/archives/50063474.html

まずは読んでみるべきなのだ。
初期の数日間の内容だけでも読ませるものはある。
(はじめのURLからドゾー)





<<<<以下ネタバレ注意>>>>





そしてktkr、2つ目のURLから連なる流れの最後に突然の釣り宣言。
でもってその直後にあらぬ方向から釣り返しときたもんだ。
それも現在進行中である。 ※1/26当時。今はよくわからんです

いやはや、うまい釣りならいくらでもあるんでしょうが、
引っ張り続けたままテンションを保って華麗に釣り宣言をしたかと思えば、
別方向からきれいに釣り返すというそのタイミングの見極めっぷりに驚いた次第。
「あーそっから釣り針戻ってくるぅ?」と有明湾のムツゴロウになった気分でございましたよ。
日々レベルは上がっていくんだなぁ…。
こんな鮮やかなのを見せられてたらみんなテレビなんか見ないぜ。
パッケージゲームなんてのもやらないってば。
こうなると2ちゃんねるが最廉価な娯楽だって人も多いのが頷けますな。
ふむふむ。


※文体が微妙に違うのは書いてた場所が違うからなのですね。ふむふむ。

投稿者 KQZ : 00:02 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月29日

人種が違うというか

Shi3zさんに紹介されてSARGASSOに招待してもらいここ数日の間使ってみたのです。
まだα版なので招待人数も絞っていて広報もまだしていないらしいけど、ここなら誰も読んでないからいいだろうて。

さてさて「SARGASSOとはなに?」という向きにはShi3zさんの日記から引用で済ますとして、と。

SARGASSOはけっこういいのになにか使いにくい
SARGASSOは天才プログラマー、鈴木健と須子善彦により開発された、ソーシャルトラストネットワークです。
これだけだと意味がわからないと思うけど、要するに、個人間の関係のなかに「情報の信頼性」や「センス共感度」という指標をとりいれて情報の取捨選択を行おうという大変野心的な試みです。

で使ってみると、確かに面白いのではあります。
出てくるblogがそれぞれに深い。
思わずじっくりまたりと読み込んでしまうものも多いのですよ。
ずぼらな自分だけのアンテナじゃYouTube - Broadcast Yourself.なんていうサービスサイトは見つけるのにもっと時間がかかっていたでしょうしね。

しかし10分も眺めているとある種の違和感も感じたのも事実なのです。

SNS的な広がりを持つサービスの最初期のSeedを考えてみれば当たり前の話なのではありますが、現在SARGASSOに参加されている方々はshi3zさんをはじめとして鈴木健、中嶋謙互、江島健太郎、近藤淳也… といったお歴々なのです。
(有名人につき敬称略。ただし本当にゴイスーな人たちなのかはよく知らないー)
数えてみたところ僕を含めてまだ136人しか登録されていない様子。
この段階ならゴイスー度も高いってもんでございます。

そういったお歴々な彼らが相互に薦めあっているblog群を元にしているのですから、SARGASSOが僕に推薦してくれるblog群もそれなり以上に内容が濃く、あるものは技術Geekっぽかったり哲学っぽかったりで、僕などとは根本的に住む層が違う人たちの為すものではないかと思い始めたのでした。
というかオレって場違いじゃね?

ここではたと考えたわけです。

  1. これ以上の発展を促すためには下世話な方向への バリエーションを持たせることが必要?
  2. もう少しこの『ネットおハイソ人種』さんたちの中で濃縮熟成してツールとして錬度を上げていった方がいい?

さて、どちらなんでしょうか?

1.の方向を進めるためにイミフwwwうはwwwwおkwwwwの中の人とかを呼び込んで天才プログラマーであらせられるらしいところの鈴木健さんを奮起させる、とかいうのもひとつの手なのかもしれません。
ふむふむぅ。

あ、UIに関して言えば一考どころか三考くらいの余地が2haくらいありましたですよ。

投稿者 KQZ : 01:37 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月27日

TV雑考とWeb2.0待たなくてもいーんちゃう? てな話

このところ眺めていたテレビ番組について思ったことの垂れ流しとかそれから発展して思いついたこととか。

SMAP×SMAP 歴史的瞬間全部見せます!! 史上最強の4時間半SP!!!
執拗なまでの編集で森くんは存在していなかったことにしているその技術に感動。
CGってすごいね。

M-1グランプリ
業界内視聴率が優に100%を超える(*)であろうM-1の第五回目決戦。
 (*註:もちろん生放送と録画とをあわせた数値。それくらいわかってまんがな)
数年来ごく普通のタレントさんとして身近にいたアンタッチャブルの二人がM-1を獲ってしまった事によりあっという間に人気芸人に駆け上がっていったのを目の当たりにしているわけで、このM-1というタイトルが意味する重さ、大きさはよくわかっているつもりだ。

しかし品川庄司は最終決勝を意識してネタを温存していたのかなぁ。錬度の高いネタだったのは見ていて伝わってきたのだけども。いやはやものすごく期待していたのですが。
ちなみに今田耕司の司会にはちょっと不服。ブラックマヨネーズはうまいよね。でも多分どのネタを持ってきても「なじみの皮膚科の先生に…」のオチはきいてるのではあるまいか。誰に聞いてるのかは知らんが。

某特番にて某広報女史が
「20人の美女」とかいう触れ込みからしてアレでしたが…
素人なんだから出演依頼が来ても断ればいいのに。
明らかに「気合だー、気合だー!」という父を持つスポーツ選手の方のほうがオーラがあって輝いていました。
もうね、きっつくて見てらんなかったですよ。

HAPPY Xmas SHOW 聖夜にあの名曲が夢の競演で蘇る!
久しぶりに浜崎あゆみを見る。いや、CMで、のお話。
やはりPanasonic一社提供番組で2時間ずーっとお詫び広告っていうのはありえないので(見たかった気もするが)、ここぞとばかりにSDカード型デジタルオーディオプレイヤーとか手振れ防止デジタルカメラとか薄型液晶テレビ(プラズマなの?)とかのCMが流れているのをぼんやりと眺める。
改めて大量の浜崎あゆみの出ているCMを被爆するかのように見ていると、僕にとって浜崎あゆみの印象の90%まではPanasonicのCMだったんだなぁ、と実感する。
一ヶ月以上CMから離れると僕のアタマの中の消しゴムが浜崎あゆみの印象をどんどんプリンセステンコーへと書き換えていく。
きっとナンシー関仕様の消しゴムだったんだろう。たぶん違うけど。
しかしシンディローパー来日しすぎ。ホントは中身YOUなんじゃねーの?

「王様のブランチ」データ放送
11月から12月第二週目くらいまで4週間だけ限定でやっていたデータ放送のテストですが、これが案に相違して(失礼)なかなか力が入っているのが見て取れて面白かったのでした。明らかに回を追うごとに出来が良くなっていたしね。大成功といえましょう。古臭いプロトコルでもがんばればいろいろできるって典型。ライブドアざまーみろ、とか言ってるのかな? 知らんけど。
(いや、ホントに知らないです。企画に誘われたりはしたけども今はそういうことできる暇あんまりないし。また呼んでね>Aさん)

しかしデータ放送の立ち位置(視聴者との係わり合い加減)は模索中ですね。
TBSの変なブタのマークが「いーなぁ、おいしそう…」とか「僕はどーせブタだから…」とか小くだらないことをノタマウのは見てらんなかった。誰か止めろ。

ちなみにテレビ受像機とネット回線がつながっている家庭が果たして何パーセントまで上がったのか、とかいうのはちょっと気になるですな。もしかしたらPCでTVを身ながら双方向放送に参加している人の方が多いんじゃないかなぁ。
(昔話でここら辺のことはちょっと書いた覚えがあるのであとで検索してLinkします)

さて表題に戻る
さてさて、縷々このところ見てきていたTV番組について思っていたことを書いてきたわけなのですが、ふと気づいた事があって表題を変えたのでした。

これが本やCDであったならば、読者に対してamazonのLinkでも張って詳細なスペック(ん?)を紹介するのが普通だと思うのですが、こと放送であるだけにそういうわけにもいかないということに他ならぬ手が気づいたのです。

ここ一年がとこわかってないおやっさんたちですらがお題目のように唱え続けているように、放送がネットに融合しVOD(Video On Demand)ですべての番組が提供されているならばその番組URLを張ることもあるのでしょう。
しかし既にwinnyとかMXとかを使えばそれってできてしまうのですよね。
Web2.0ならぬWeb1.4くらいである2005年冬現在でも。

    閑話休題:
    先日のiTunes Japanの50円アルバム祭りの時にChet Bakerの「Oh You Crazy Moon」を買ったんですよ。50円で。
    でもって聴いてみるってーとあーた、自分のPCでエンコーディングしたものと明らかに音の密度が違うわけです。デジタルの世界であってもデバイスの質やエンコーディングを担当する人の力量っていうのはどうしても出てしまうわけでして。そりゃレコード会社の人がスパイナルコードにダウンロード販売用に各種エンコーディングを頼む時にHさんをご指名するというのも当たり前の話ですわな。担当する人によって音違うんだもの。

さてもとの話題に戻ります。

もし仮に、放送主体であるTV局がオフィシャルに、つまりプロの機材と技術力でもってエンコードしたファイルをP2P空間に放流するとしたらば、一般人がお手製でエンコードした劣化したファイルをわざわざ引っ張ってこようとする人間はいないでしょう。
なんたって一目瞭然で質が違いすぎますから。

    トラッカーなりなんなりの集中サーバで当該ファイルの流通量を計測し、JASRAC方式で (いや、裏の意味はここで書くつもりはありませんので「供託された著作権利用料を適正な配分率で各権利者に分配する」という機能をさしています。がっさり集めてわかんないところは演歌関係に三倍支払う、とかいう意味ではないっす) TV局に分配するというシステムは、今現在の技術でもまったく問題なくできるはずです。
    しかしこうなると権利者を守る線としては「良貨が悪貨を駆逐する」という論法しか見当たらないのではありますが、むしろ広告との併用でいくらでもチェックすることはできるのではないかとも考えるのです。チェックサムとトラッカー情報を連動させてCMを削除したらはねられる、とかすればですけどもね。
    ※もちろん、ユーザーに対して「(ほぼ)無料に見え」て「どのファイルを引っ張ってくるのかは任意」と「思わせることができるシステム」であることが前提です。(本当にそうである必要は、ない)
     上述のiTunesの話に戻ると、1枚のアルバムが50円というのがこのレベルだったのではないかということですね。自分で持ってるアルバムなのにお金払ってプロのエンコーディングを買ったわけですから。個人的にはもうちょっと高くてもいいんだけど。
     ほらあれさね、自分で髪の毛切ってもいいけどやっぱり美容院いくじゃん。そんな感じ。

ま、こんなことについて辺鄙な当blogでどーのこーの言及するつもりはさらさらないのですが(よって現在の技術トレンドやNABの動向などについても裏打ちせずに垂れ流しています)、これだけは言えると思うのです。
こういった先々のシステムというかプロトコルを決める人間は、概して現在の技術であったりユーザーの知恵と思いつきの組み合わせで稼動できてしまっている似非システム(ん?)を皮膚感覚ではわかっていないのではないか、ということです。

それと話は前後してアレですが、「王様のブランチ」のデータ放送の作業現場は恐らく鉄火場だったと推測できます。なんとなれば編集システムが対応していないからです。しているはずもない。第二のあたふたぶりは近所なのでお弁当持って見学に行こうかと思ったくらいです。
僕は珍しいことに学生時代から放送作家として一番底辺の部分から現場を見ていますのでアイデア会議から収録現場、編集作業の面倒、そしてオンエアーまでの流れを体で知っていますし、広告代理店社員としてどういう形であれば広告主がお金を出したがるのかというイメージもそれなり以上に知っています。また雑誌ライターとしての経験からも読者(視聴者)への「紹介の仕方」=「タグ付け」の機微もわかっているつもりです。それと何の因果か知りませんがここ数年はクライアントとして代理店を使って広告を打つ立場にもいますし。これら全ての現場を体験し、今も平行して関わりあっているというのは実は結構珍しいのではないかと思い至った次第。ラッキーなのか引き摺られているのかはいざ知らず。

で、キモは最初の段階のタグ付けなんですよねー。
カメラに収める段階でタグを付け、編集機材、そしてオンエアーまで一気通貫で管理できないとかなりつらいはずなのですよ。
で、で、何が言いたいかというと「カノープスとかがんばれ。超がんばれ」ということでそろそろ寝ます。
ぐー。

※我ながらオチが手抜きだなー
 ラストの一項目はいつか書き直すかも。
 自分用だからblogではないと思いますが。
→ってちょっとずつ書き加えてるし。

投稿者 KQZ : 01:22 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月03日

言葉の伝播

言葉は人から人へ移る、という当たり前のお話。

人がたまり生活をしている場所には、その場所特有の言葉というものがいつの間にか醸成されるものらしい。
卑近な例で言えば近くに関西弁をしゃべる人間がいれば自然と語彙やイントネーションが移ってしまう場合もあるだろうし、社会学的にとらまえてみれば同じ言葉を使用することによる一体感・連帯感という側面もあるのだろう。

たとえば、今仕事をしているところでは「洗い替え」という言葉をよく使用している。
これは「今までのやり方を見直していったんサラに戻す」とでもいう意味らしい。
所謂辞書的な意味合いで言えば、

あらい-がえ あらひがへ 0 【洗い替え】
衣服を洗濯したとき、代わりに着る衣服。

    goo辞書・三省堂提供「大辞林 第二版」より → Link


でしかないわけだからちょっと変なお話なのではあるが、まぁ慣れた。
もちろん社外の人と話をするときには使わない/使わせない/補足するようにしているのだけれども、言霊の効力範囲にいる人間だけの場面でもいちいちすべてに目くじらを立てて修正していくのもおかしな話だしね。

考えてみると、このようなある特殊な業界での符牒的なワーディングが一般社会にまろび出て行くこともよくあるわけで、近年で言うと「座組み」とか「目利き」とかいう言葉はかなり一般的になってきているからそんなに違和感は感じられないだろう。しかし僕が学生からいわゆるギョーカイに紛れ込んだ最初の頃には「なんとなく変なことばだなぁ」とかすかに引っかかっていたことを記憶している。

ここで間違えてほしくないのは、「まいうー」「てっぺん」「ケツカッチン」「場みって」といった所謂「ギョーカイ用語」ではなく、雰囲気も含めてしっくりとくるような代替するべき言葉が見当たらないような特殊な構造を持つ符牒的用語について言っているということだ。

逆に僕が今の仕事場で使い始めて定着しはじめている言葉というと、「トレードオフ」「いまいま」「一義的に」… などそれなりの数に上っている。
しかし未だ「目垢(がつく)」とかいう言葉には賛同者がいない。
この言葉の持つ雰囲気を共有できる人間が出てこない限り、ある種の仕事は誰にも任せられないというわけだったりするんだなぁ。ま、いいんだけど。

オチなし。

投稿者 KQZ : 02:31 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月17日

自動精算機が気になる

この自転車日和の季節ではあるが、雨が降っていると地下鉄を使っての移動になるという話はマクラとしては微妙に弱いので軽く流すとして。

ゆめもぐらもとい都営地下鉄12号線いわゆる大江戸線の自動精算機がとても気になっているのだ。
ごく一般的なところからはじめると、自動精算機のユーザーインタフェイスは

  1. まず金額が足りない切符を入れる。
  2. そしてパスネットを入れる。

という手順になるのだが(当たり前)、そのそれぞれの手順において切符やパスネットを表向きかつパスネットに関しては入れる方向まで正しくしないと読み込んでくれないのだ。
ピーピキピーピキ鳴りやがって「あらま、あの人ヒゲ面して数十円のお金も足りないのかしらん」とかそこな道行く善男善女に思われてしまうではないか。
恥ずかしい。

…なんてこたぁ考えちゃいないが、これは気になる。
なぜならば既に数年前から自動改札機は裏っかえしだろうが逆方向だろうが問題なく読んでくれているからなのだ。
残高の足りないパスネットともう一枚のパスネットを重ねて通算精算してくれる機械すらある。

さて、技術的に可能なことをなぜやらないのだろうか?

低機能の精算機のほうが金額が安いということは考えられる。
大勢が大挙して通過する自動改札機でいちいちピーピキピーピカ鳴って止まっていては交通の邪魔になるというのも分かる。
それに較べれば自動精算機の方はいいだろう、という計算も分かる。

…でもさぁ、サービス業じゃん?
ということでこれより自動改札および自動精算機を作っている会社を検索して機能による値段の差を調べてみることにする。
しばし待たれたし。(←そんなの誰も待たない)

投稿者 KQZ : 23:47 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月22日

アップし忘れてた授業のレジュメというか

あぁ、アップし忘れてた。
前に書いたエントリー「S/N比、dB、音階、そしてシナリオエスカレーションシステム」を元に一時間でまとめた某専門学校でやった講義のメモ。
「あれの続きは?」というリクエストが二通あったので一応アップしとこっと。
※二十歳前の学生さん相手なのでわかりやすくがモットーでふ


  1. まくら

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  2. 前回のまとめ

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  3. シナリオエスカレーションシステムについて:扉

    jugyo7.JPG
    jugyo8_1.JPG人は物が三つ続くと線を想像してしまう
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    望むと望まざるとに関わらず「予測」してしまうものらしい。
    そしてそれは「期待」であり「意図」でもあるわけです。当たり前の話が。

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    例えば

    • 水戸黄門が先週品川にいた。今週は川崎だ。ってことは来週は横浜かな?
    • この女性はなんだか毎週水曜日にこの路線に乗り込んでくるんだよなぁ…(「東京バス案内」など)
      とかとか…

  4. 受け手がなんだか知らんけど想像=予測してしまうというは、方向や距離・スピードだけではなくて色や形であっても同じことのようだ。
    音階とか温度とか態度とかでもなんでも。

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    もちろん、その勝手な予測=意図をうまく外してあげることでキュッっと興味をひきつけるコトだってできるわけだ。

    • 週を追ってどんどん性格が悪くなっていく赤木春恵。だが急にしおらしい言葉を掛けてくれる回があると、その意外性に思わず惹きつけられてしまう。
      「あぁ、おばあちゃんも色々と口に出せない不満があったのよね。そーよそーよ可哀想なのよ…」って。(ホントか?)

  5. よくある主人公キャラクターをめぐるキャラクター群の例

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    うわぁーい。
    こう並べてみるとネタだ、ネタ。
    でもスターウォーズだって似たようなもんなんだよねー。

  6. シナリオが展開するにしたがって拡大していくキャラクター群

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    正直こういったシナリオエスカレーションというものは、初期に設計していたそれぞれの配置からどんどんずれて行き勝ちなワケです。
    単なる拳闘漫画だったはずが神話や地球の存亡をかけた宇宙神話的な戦いになってしまったり、単なる喧嘩好きの少年が東京の総番になったり日本全国をまとめるガキ大将になったり挙句の果てには中東に石油を買い付けに言っちゃったりするというとんでもないエスカレーションが日々行われていたりしてたわけなのですよ集英社周辺とかで。
    ということで、はじめからシナリオが展開していく道筋をうっすらと想像していくことが大事ってことですな。

    ※上記のLinkとエントリーの内容は全く関係ありません。偶然の賜物。

  7. シナリオエスカレーションシステムの留意点

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    ま、ありがちな話になってしまうのがこういった授業形式の仕方がない点ではあります。(←言い訳)

  8. 閑話休題

    jugyo13.JPG 学生さん相手の授業だと息抜きも必要だしー。

    jugyo14_1.JPGjugyo14_2.JPG
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    別に出川さんに恨みがあるわけではないんです。
    本当にできない芸人さんはリアクションが薄いのです。収録現場で見ていて「あーりゃりゃ。笑い足さなきゃ」とかよくある話。
    んで、実はここら辺のことを踏まえて考えて一番スマートな対応策の一つとしては「金ダライに気がつかない」&「素でリアクションが大きくて面白い人を使う」ことに行き着くわけですが、それは突き詰めると欽ちゃんの素人登用メソッドのお話に行き着いたり、近年では松本人志なんかに見る…  
    おっと、お笑い放送作家講座ではなかったのでここら辺は割愛。
    「俳優修行」とかの話をしても仕方ないでしょうし。ふむぅ。

  9. 科学的な見方をちょいと

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    前に書いたエントリーで触れていた部分からは、人が雑多な情報群からえり好みをしつつ吸い上げていく際に(態度を決めていく、ということね)考慮に入れるべきだと思うS/N比なんかに関しては割愛してます。
    感覚的にすぎるしなぁ。いや肝だとおもうんですけどもね。
    それ以前に指数とか対数とかに関しての感覚って、理系教育を受けた人以外には意外なくらいに低いんですね。ちょいとびっくり。
    こういった思考の素になるレベルで意思の疎通が図れないことが多いということに気づいたのは仕事をし始めた二十歳前後のことだけど、いまだに分かってくれない理系の人とかが多くてびっくりなのでし。自分がアタマがいいと思い込んでいる人とかもそうだし。そんなんでよく会社の経営とかできるよなぁ…。会社経営ってサービス精神の塊だろうに。ああ脱線。

  10. 無理やりっぽく学生さんが興味がもてるような話につなげてみた

    jugyo19.JPG
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    激辛カレーの曲線とかごまかして書いているけど、この「はじめのエスカレーション曲線」っていうのは非常に重要だと思うのです。
    ゴルフのスウィングとかピッチングの腕の振り方のようなもので、はじめの慣性のつけ方を誤ると修正するコストは甚大なものになってしまうということ。

    jugyo21.JPG

    某国民的RPG」に関してはとてもよくできていると本当に感心してしまうのですよ。特に敵の強くなり方とアイテムの値段と選択肢の自然な狭め方とか。(ちょっとガチガチな場合もあるけど)
    ただパーティープレイやネットなどでの情報交換のスピードの速さを考慮すると段階のつけ方はちょっと考えてもいいかもしれないということです。
    もちろんすれは敵の強さのエスカレーションだけではなく、自らを回復したり特殊攻撃(ステータス変化とか)したりという攻撃バリエーションなんかも含めてなわけですが。
    もちろん通常のシナリオに関しても同様です。

    …ん? なになに? 想像がつかないって? 自分で考えてください。

  11. 以下は蛇足という感じです。

    jugyo22.JPG
    jugyo23.JPG
    jugyo24.JPG
    jugyo25.JPG
    jugyo26.JPG

    ずいぶんと前のエントリー」で書いたことをちょっとまとめてみました。えぇ、リサイクルですね。時間がなかったし。
    しかしこのところ学生さんとお話しする機会は非常に多いのですが、なんというか意欲が感じられなくてですねぇ…
    てなことで近頃はいろいろな考える縁(「便」=よすが)としてちょっとだけ刺激的(彼らにとって修飾は非常に重要だし)なことを話すことが多いのでした。

なんだかPPTからJPEG切り出しただけで眠くなってしまったので適当におーわりっと。
正式な授業の時には5倍くらいしゃべると思われ。

投稿者 KQZ : 02:01 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月11日

***の原価について

なんだかたくさん人が来ているなぁ、と思っていたらshi3zさんのところとか他のホワイトバンド系のサイトからのLinkだったようです。
僕個人としては知りたい情報はほぼ全て入手してしまったのでとりたて興味は薄れているのではありますがまだまだ人気のある話題のようですね。

さてさてshi3zさんのblogから。
港区赤坂四畳半社長  ホワイトバンドとメディアを疑え!編
ホワイトバンドに関する肯定的な話題
http://blog.livedoor.jp/shi3z/archives/50005949.html

オックスファム ジャパンのページでもホワイトバンドを売っています。

とした上で、

 だけど原価がぜんぜん違うッテイウノハ・・・・?

との表記がありました。
オックスファムというボランティア団体でもホワイトバンドを売っていて(8月25日で終了した模様。→Link)の方では

定価300円のうち、素材や物流にかかる経費100円を省いた残りの200円はオックスファムがインドやカンボジア、モザンビークで行う支援活動に使われます。

と、まぁhottokenaiの方と激しく原価が違うってことですね。

こういったアイテムを中国で作るという仕事も過去にやっていましたのでその経験から言いますと(意外なことにデパートを間に挟むことが多いのです。某巨大外食チェーンのおもちゃとか)、この原価ってのがかなーり安い。
ちなみに値段はというと守秘義務系の極秘条項なのではありますが、例えばペプシのスターウォーズボトルキャップを見れば想像するのは難しくないでしょう。
http://www.pepsi.co.jp/navi_html/h_cam_swep3_cap.html

まぁ手の込んだ彩色。ちょっと前にもマリオのドット絵の立体起しなんていうのもありましたっけ。これも大変ざんすよ。
でもってこれがコンビニ店頭価格147円のペプシにベタ付けされているわけですから値段は推して知るべしです。銀紙で4色印刷の包装がなされていますし、原型作るのにも金がかかっています。

それに対してホワイトバンドですが…
http://www.pia.co.jp/whiteband/whiteband01.html

むぅーん。
これが80円だとしたら、ペプシのボトルキャップは200円くらいしちまうでしょう。
量産効果があるとしても、ホワイトバンドだって100万個単位で発注しているでしょうし。
まぁ数円、それも下のほうというのがリーズナブルな見積もりになるかと思われます。
またもし本当に80円かけているのだとしたらお金の使い方が雑すぎです。
その金額に意味があるのであればもっとキッチリと開示すべきですし、前に書いたように開示文書をさらに分かりづらくなる方向に書き換えてたりするわけですから…
(内情を知らないにせよ)少なくとも人々の善意で集まった数億円というお金をこういった体制の団体がキチンと使えるのかどうか些か疑問ではありますね。
端から分かっていた人にとってはどうでもいいんでしょうけども。


以下雑文。
前にも詳しく書きましたが小学校5年だか6年の時に初めて読んだ本で、今に至るまで何度と無く読み返し続けている本があります。
生きのびるためのデザイン」という本です。
基本的にはインダストリアルデザインの本なのですが、低開発国への援助にまつわる様々な問題についてこの時代ですら(1974年初訳)よく考えられています。
曰く「自動車を送るのはあまり意味がない。自転車も必要だが故障したら直せないことも多い。一輪トロッコ(モッコみたいなもの)を大量に送るほうがよほど価値がある」とかとか。
一輪トロッコなら軍事転用もされないでしょうしね。
ま、関係ない話ですが思い出しましたので適当に書いてみました~

投稿者 KQZ : 01:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月09日

あ、書き換えてやがる

承前

9月5日の時点で「誤解を避けるように改定しました」だそうな。
http://www.hottokenai.jp/white/300yen.pdf

この左上の30%にのぼる「世界の貧困をなくすための活動費」って費目は、たしか20%の「プロジェクト自体の広報活動費」と10%の「政策変更のための活動費」だったはず。
改定というよりは、費目をくっつけてしまった上でマイルドな言葉になおしたのだから…そういうのってごまかしって言わないか普通?
「理解を深められると困るのでごまかしました」が正しいわけですな。

んでちょいと探してみたら前のバージョンのpdfもあっけなく発見。→http://whiteband.sakura.ne.jp/300yen.pdf
ネットってこわいなー。(棒読み)

投稿者 KQZ : 02:16 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月30日

S/N比、dB、音階、そしてシナリオエスカレーションシステム

シナリオというか、もっと大きく「人の感情をdrive=ドライブしていくもの=vehicle」の類型の一つとしてのエスカレーションシステム、ってことを考えてみたりもするのだ。
まぁよく言われる「ドラゴンボールや北斗の拳は敵の強さがどんどんエスカレートしていく」とか言われるアレにも似ているんだけども、もっともっと茫漠とエレメントに近いものを。
実はURLで欠番になっている 001062.html に書き始めていたのだけれども、あまりに仕事とリンクしているので外している(下書き状態にとどめている)という次第。

本稿ではもっとぐぐっと考えていくと… という作業のネタ備忘録なのではあるが、肝心の思考言語素である「音階」にそぐう言葉が思い出せないのだ。
多分「ゲーデル・エッシャー・バッハ」あたりに書いてあったと思うんだが、実家におきっぱなんだよなぁ。

以下適当に並べていくと、


  • 一時期のTVCFではわざと日常音を使っているものがあった。街頭のノイズとか、埠頭の風の音とか
  • これらは「他のCFとは音のS/N比とdBが異なる」という差異により目立たせようとしていたもの(耳立たせる?)
  • そこには恣意の違和感が、もちろん、ある
  • つまりそれが「狙い」であり「意図」だ
  • 話を翻るに、色彩論と楽典は古来非常に高度に練られているが、ことシナリオとなるとてんでダメダメである
  • ヒトラーの選挙演説システムと劣悪なコピーとしての小泉純一郎
  • スタニスラフスキイシステム
  • 無限音階
  • さぼっちフィボッチ数列
  • MOTHERのせりふ回し
  • 和也に習った「KQZちゃんのつくる飯は確かにうまいけど、プロはそれじゃダメなんだ。もう少し食べたいなぁ、もうちょっと… と思わせておきながら皿の最後には味が重なって満足するくらいじゃないと」「ひと匙ずつ濃くなっていくグラデーション」「でも決して濃くなりすぎない」
  • 対数logのグラフ
  • 意図に収斂、というイメージング
  • 押し付けがましさは上手なシェフには無用
  • スプーンのような、あるいは柳の葉のような重なり方?
  • 街からの距離とMobの強さ、ばらつき、そしてシナリオとしての配置の世界観
  • 口コミマーケティングの社会的距離と物理的距離との関連性(バイラルマーケティングとかバイラルCMとかいまさら言うなボケ。全てのマーケティングは人間相手なら最後は口コミじゃ)
  • 受け取る態度=attitude と能動性
  • 数度重なる時のdB的感性
  • 重なるって、いったい?


やっぱり思考素がぼやけてるとまとまらにゃいー。
もう寝る。


 

投稿者 KQZ : 02:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月12日

ブレストを仕切る技術というかなんというか

一時期はブレストマシーンとの汚名で呼ばれ、某社から「各部署のブレストに付き合ってくれるだけで給料払う」とかいわれていた私なのではありまするが、このところ仕切り側に立たねばならないことも多かったりするのですよ。
なんだかなぁ。

さてさてブレストというか企画会議というと、『出没! アド街ック天国』の中で唯一要らない最後の「CMを作る」とかいうコーナー(しかし愛川欽也がお気に入りで辞められない)でもKJ法もどきをやっている小芝居があるのでそれを思い浮かべる人も多いでしょう。
(しかしアド街もネタがショートするとモノクロで静止画を撮ってごまかすのもアレだよなぁ)

なに?
KJ法をしらないとな? 謝れ! ジロウ・カワキタにあ(ry
…というかそれは結構恥ずかしいかも。

 →基礎知識: googleで調べる
 →参考図書: 発想法―創造性開発のために/川喜田二郎

以下、まとめ切れていないので縷々適当に。




  • ブレスト参加にあたっての心構えとして「人の意見を否定しない」という言い方がよくなされているが、それではまだ甘いのかもしれない。
    どちらかというか「繋がるよう意見を言う」というほうが正しいか。
    むしろ「突っ込まれるくらいに綻びをもたせろ」というといいすぎだろうかな。
    一つ一つの文節の作り方(KJ法でいう「カード」のまとめ方)にもテクニックがあるがそれは割愛。

    • →全てのシステム構築に於いて言えることだが、反応する側(受け手)に何かのアクションをさせるよりは、提供する側(送り手)が一括して大元からデータ構造を揃えておく事が肝要ってこったね。

  • ブレストの目的が「一人では思いつきづらい視点を浮かび上がらせる事」であるなら、という前提での話ではある。

    • →ブレストの形式を使った「チーム内の意見を誘導する」「自分達で思いつかせたような気分にさせてモチベーションをあげさせる」という目的の場合もある。その場合は別ですな。

  • 「繋げやすいような意見を出す」ということは、たとえるならば科学実験の反応炉や坩堝の中にイオン化されている塩基なんかがごろごろある状態と考えればよさそう。

    • →つまり、「完成された(かのように見える)考え方」ばかりではイオン化されていないというか、つまるところ反応速度が遅くなりがちだということだ。
      これは時間を限られた(限らないと人間の集中力はあっさりと落ちるから)ブレストでは致命的といえる。

    • →かといって会議室を和室にしたり壁紙を赤い色にしたほうがいい、とかいう陳腐な話ではない。(効果はそれなりにあるだろうが)
      むしろそれ以前にメンバーのそれぞれに与えるミッションやモチベーションの切り方の方が100倍重要。

      • →→ブレストに慣れている人は、「完成された(かのように見える)考え方」であっても上手に崩すことができる。これは先だってのメタファーでいえば触媒的というか分解酵素的な人といえるかも。これらのメンバーの盛り立て方も重要か。

  • 各人の反応速度を揃える事も大切。

  • (繰り返しになるが)
    時に(その時点で)完璧すぎる(ように見える)答えはブレストを止めてしまう場合が多々ある。
    理詰めに考えて腑に落ちてしまう考えが早めに出てしまうと、ブレストに不慣れなメンバーは思考を止めてしまい勝ち。
    その場合には場が熱してくるまで黙することも必要か。

  • メンバー個々人の役割を考える。

    • →とりわけ自分の役割を考える。
      リーダーであるならば「経験がある」「予算を掌握している」「声がでかい」「人徳がある」… といった、純粋な思考作業にはなんら関係のない部分で一目置かれてしまっているはずである。(逆に一目すら置かれていなければリーダー職を辞めるべき)

      • →→何の気のない自分の意見に会議の流れが向かってしまうのは自己満足以外の意味では時間の無駄であるともいえる。だったら自分一人で考えていても同じだし。
        (数十行前に書いた「話を誘導するための儀礼的ブレスト」には効果的だけどもね)

  • まとまりかけてきたら(そしてメンバーに安堵と油断が見えたら)上手に崩してやること。
    それもリーダーたる自分が「自分の感性」や「自分の理屈」で崩すとメンバーの意気が下がることも熟慮して、システムとしてのカウンターの提示、もしくは純粋思考実験としてくずしてやるなどの配慮も必要か。

    • →例えばSWOT分析とかいった誰でも知っている陳腐な方法でもよい。

  • それからそれから…


むーん。
やっぱまとまりきらんな。
一人でブレストテロリストやってるほうが気が楽だす。

↓KJ法の基本ならここらへん

↓CM製作の小芝居を見なくてすむのでお薦め

投稿者 KQZ : 00:34 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月02日

楽しいという感覚はうれしいという感情を微分したもののような気がしてきたその次に

承前

楽しいという感覚がうれしいという感情を微分したものだとしたら、
哀しいという感情を微分したら、いったいなにになるんだろう。

喜怒哀楽を感情の極とするなら、それは怒りなのかもしれないし、
そうではないのかもしれない。

とまれ、僕らはエンタテインメントの世界にいる人間だ。

楽しいという言葉にくくられるものの中には、
時に怒りや哀切に似た感覚が含まれていることくらい
とうの昔から気づいている。

そこには速度ではなく、
もう一つ微分した加速度的なものを考えればいいのかもしれない、
などと思いいたったのだ。

それはf(x)上にいる者にとって考えてみれば、
いち時間切片での減速(怒りや哀切)に振り回されてはいても、
二次微分したさきのトルクをうっすらと信じてさえいれば
そのジェットコースターを楽しむことすら許される、ということなんだろうか。

その先に待っているだろうカタルシスとしての加速と、
最後に待っているだろう明るい未来。


それを数式とグラフで表すとしたら…

あ、mathematica入ってるマシンって青バケツのG3だった。
立ち上げるの面倒だからやーめたっと。

投稿者 KQZ : 00:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月01日

楽しいという感覚はうれしいという感情を微分したもののような気がしてきた。

久しぶりにSMAP×SMAPを見たら木村・中居の二人が草なぎ・稲垣メンバーをいじめて笑っている番組になっててあららららだったのが大道具と小道具チームががんばっていて質は高いのでまぁいいかを感じたり。
んなことはさておき。

    追記:本稿はUBIMEMOを使ってケータイ電話で打ち込んだものをそのまま出してますんでまとまりきってないのはそのせいだったりするです。いやUBIMEMOのせいではないんですが取り急ぎのいいわけでおま)

今日はぼんやりとしながら「はて楽しいってなんだろう」ということを縷々考えていたのだ。
とりわけインタラクティブメディアのそれを。
「楽しい」はどこかプリミティブな根っこのところで「うれしい」につながっているような気がしてきて、
そうしたらこんな変なタイトルになってしまったというわけなのでして。
ココらへんと並べるとあの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するんだろうな感じですな。w


多分、ストーリーを味わうというのは特にメディアを限ったものではないので「組み合わせるべきもの」であると思うのだ。

ストーリー展開の妙に分岐性やインタラクティブ性、干渉性(他のプレイヤーがストーリーにインタラプトしてくるなど)にしていけばゲームっぽくなるだろうが。
だから、

演出
絵の美しさ
音楽の美しさ

これらは質を高める必要条件ではある。
んーっと…
(以下メモ)

インタラクティブ性
自分が動作したら、すぐに反応してくれる
本や映画といったスタティックなメディアとの違い

上達する喜び
速くなる
大きくなる
強くなる
硬くなる
長距離飛べる
深く掘り進められる

楽しい時間は
その瞬間、すぐに楽しい
ある程度の時間継続して楽しい


勝ち負けがわかるタイミング
すぐ分かる
 タイマン勝負ならすぐにわかるはず

後でわかる
 宝くじのように、あるいは月間チャンピオン大会のように…


時間に
せかされる
 オンラインはどうしてもせかされがち
 →せかされずに遊べるMMOとかって面白いかも??

ゆっくりやっても大丈夫
 ターン制の遊び
 郵便(文通)の楽しみ
 →風来のシレンなどローグ系のゲームや一部のRTSなど


勝負の付け方の色々
競り合い
 逆転に次ぐ逆転ではらはらどきどき

一発逆転の醍醐味
 最後の最後で形勢逆転! の醍醐味

コンプリートする
 昔のドラクエ1や2のように、ポケモンのように、
 競争すべきは目の前の相手ではなく、誰か共同体につらなるダレカであり、
 同じ舞台でダンジョンを攻略し、全てのポケモンを集めたがる。


競い方
個人の満足
 ヨガ、盆栽

目の前でスクラッチ勝負
 腕相撲形式
 目の前の敵と戦う
 基本的に数値化できない(全盛期の千代の富士と今の朝青龍とどっちが強いかは絶対にわからない)

数字で評価
 ベンチプレス世界記録

誰も行った事が無いところ・前人未到の場所を行く
 真っ白な雪原に足跡をつける楽しさ
 「誰も行った事が無い秘境を開拓したい」という冒険家の思い
 科学者の発見の喜び
 →大航海時代での地図を切り開いていく面白さ。
 →新サーバーが立ち上がると「オレはこのサーバーで一番初めに●●を倒した…」とかやりたがる

うれしい
自分の作ったものをみんなが使う喜び
 DNAを残したい、という欲求からか?
 自分の書いた歌が街で流れているのを聞くと嬉しい
 自分の書いたレスがテンプレートになって他人が使うと嬉しい
 自分が出したハイスコアが残っているとうれしい

イメージ通りに動く喜び
 飼い犬がいうことを聞いた
 自分の書いたプログラムが思い通りに動いた

全部集める
 隅からすみまで

ぴったりあう
 音と動きがぴったりあってうれしい
  ダンスダンスレボリューションなど

 計算がぴったりあってうれしい
  任天堂DSのやわらかアタマとか

 全員の動きがぴったりあってうれしい
  MMOのギルド戦闘、コンビネーション、北朝鮮のマスゲームなど

五感の限界を超える
スピードなど
 リアルでは走れないようなスピードで首都高を走る

評価軸あれこれ

スピード
高さ
飛距離
重さ
広さ
女王様のご機嫌が良くなる

1ゲームにかかる時間
一瞬
3分
30分

その他
人と違う
 特別扱いしてもらえる

みんなと同じ
 帰属意識の楽しさ
 マスゲームが成功したときの楽しさ

比較可能・比較不可能
 そもそも比較できるのか?
 →がんばれ森川君2号とか?
 親バカ・飼い主バカの楽しさ
 盆栽自慢

おそらく、今の日本という場所は人類史上稀に見るインタラクティブメディアの波頭にあるはずなのだ。
なんかまとまりがつかないうちに別のことを思いついたのでいったんここは終了して次に。

投稿者 KQZ : 23:43 | コメント (2) | トラックバック

2005年07月29日

なるほどエリートと天才

shi3zさんのところからご丁寧な返信が。

エリート主義と天才主義
http://blog.livedoor.jp/shi3z/archives/29114878.html

ふむふむ。なるほど。

shi3zさんは

世の中には二種類の才能があると思います。それはエリートと天才です。

と定義した上で、
エリートの底辺と天才の底辺を比較すると、エリートはなんとか生きていけるのに対し、天才は生存すら危うい状態です。また、双方の頂点を比較すると、エリートは莫大な富を稼ぐのに対し、天才は生きていくのに十分な富しか稼ぎません。

要するに「天才は儲からない」のです。

とおっしゃっています。
総論賛成。
というかここまでは理解しておりました。

そういえばここら辺に関連して、以前こんなことを書いたこともありました。
 ダメだけど才能のある人
 http://www.authenticbar.com/kqz/days/archives/000400.html
吹っ切れてしまっている天才は、通常の生活を送ることすらもむつかしいのではないか、という身近な例です。

さて、続いて骨子ですが

こういう天才的な人間をこそ、国は保護すべきです。少なくとも野鳥や絶滅危惧種を保護するよりは遥かに多くの利益をわが国にもたらすことでしょう。エリートを保護する必要はありません。彼らは自分で生きていけます。

とおっしゃっています。
それもそうでしょう。
が、悲しいかなその「天才を国で保護しよう」とするとして、それを選別し決定し実行するのは単なるエリートだったりするのです。
エリートに天才を見分けることができるのか?
天才にエリートを説得することができるのか?
僕にはわかりません。
それができたとしても大変な僥倖であることでしょう。

先だってのエントリーに書いた彼我の差、つまり欧米諸国の補助金制度が日本のそれと比べて圧倒的に実行効率において高いように思われるのはひとえに文化の違いと言うこともできるでしょう。それを省略の上に省略を重ねてああいった書き方をしてしまったという次第。
※つまり「それってもしかしたら日本の『変な平等主義』が弊害なのではないか」というくだりですね。

歎息していてもしようがありません。
エリートが天才を見分けることができない(難しい)のであれば、歴史を探ります。(というか辿ってみました)
そこで思いついて出てきたのが「遊び」「余興」としての保護です。つまりがパトロネージュだったりします。
昔から日本の金持ちの遊びは食道楽着道楽普請道楽と進んで行き役者道楽や相撲道楽、絵描き道楽など文化的なところへ金を振りまく行動へとたどり着きます。(その先にヤクザ道楽というのもありますがそれはそれで別稿としましょうか)

ということで前エントリーの説明おしまい。


しかしなんというか、shi3zさんのblogのエントリー群を読んでいると、「俺を保護しろー」「保護しないと絶滅するぞー」「絶滅したらちょっと寂しいぞー」「いいのかー」「知らんぞー」などと理路整然と拡声器で訴えかける絶滅危惧種=朱鷺の絵を思い浮かべてしまい微妙に面白いのでした。w
とりあえずお賽銭代わりにUBIMEMOを購入してshi3zさんの保護に協力することといたします。

投稿者 KQZ : 00:36 | コメント (8) | トラックバック

2005年07月28日

夏の風物詩:新宿二丁目篇

nanorayさんの日記を読んで思い出した。
そうだ。
世間一般ではもう夏休みだったのだ。

夏に新橋鮎正でうるか茄子を食べるように、夏休み第一週目の土曜日には新宿二丁目に行って街を観察するのが東京に住む数寄者の勤めといえるであろう。
しまった。
今年は見にいき忘れてしまった。

え? なぜ新宿二丁目なのかって?
それはだなぁ…

新宿二丁目といえば世界に名だたるゲイタウンである。
日本中の潜在ゲイ男子にとってはキラキラとまぶしい夢の街なのだという。
仲通りの本屋でしか買えないレインボウグッズは世界中のゲイタウンでも好評なのだとかむかーしぎりぎり玉子のおばちゃんに聞いたことがある。

そして今年も夏が来た。

「ぼく、もしかしたらオトコの人の方が好きかも…」と全国で日夜もじもじしていた男子高校生達が、夏休みの開放感とともにデイバッグを背負って新宿二丁目に立ち竦む季節がやってきたのだ。

その青少年達を狙う歴戦の強者が「どう? 食事でも」と声をかけ、きんかん亭あたりで五段重ねの蕎麦を食べつつ親身に相談に乗っている睦まじい光景がそこここで見受けられるであろう。

ひざ下に置いたデイバッグの日に焼けた布地に目を落とし こくん とうなづく男子高校生を横目で見ながら「あぁ、夏休みだねぇ」と蕎麦をたぐるのだ。

(でもみているこっちも誘われたりするからそれはそれで怖いんだけどもね)


  • たしか「薔薇を散らせはしない」とかいうタイトルの本を贈っていただいたことがあるのだが見つかりませんでした。
    しかし何でぼくんとこに?
  • 今さっき見つけましたが伊藤文学さんのblogも面白いです。
    月刊『薔薇族』編集長伊藤文學の談話室「祭」
    http://bungaku.cocolog-nifty.com/barazoku/
  • 追記:某氏からのメールのおかげで見つけました~。
    「~~しまい」だったんですね。
    薔薇を散らせはしまい―『薔薇族』と共に歩んだ22年

投稿者 KQZ : 12:50 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月25日

上手の手からコールドリーディングと意外にいい人ホリエモン

なんだか休日に25時間テレビとかをやっていたようで、夜中にぼんやりと見ていると細木数子とホリエモンがなにやら占いをはさんで世間話をしていたのでした。
しかし絵だけでもチャンネルを止めさせてしまうだけの力はあるなぁ。暑苦しいというかなんというか。

何かについて自信ありげに喋る近所の世話焼きおばちゃんと東京から久々に帰省してきたはねっかえりの秀才のお兄ちゃんのやりとりという体からして面白かったのですが、最後のやりとりが非常にこれまた興味深かったのでした。

その場面を見て、以前アップしたエントリーを読んで同じ事を感じた人も多かったらしく数人からメールが来たりしましたが、まさにコールドリーディングがかるく破綻しかけ、それを修復していたさまが見えてとても面白かったのでした。
コールドリーディングについては『一瞬で信じこませる話術コールドリーディング』などを参照のこと


で、その面白かった状況については放送作家の福本君から来たメールを転載するとして…

フジテレビの25時間で細木先生のコーナーを見ていたら例のトーク方法が出てきました。
ライブドアの堀江氏とトーク中、乙部さんの話に急になったところで、細木さんが乙部さんに「アナタ、来年、いい人が出てくるわよ」と宣言。
堀江氏が小声で、「旦那がいるんですよ」とフォローしたところ、
「アナタ、いい人って、すぐに男に結び付けるなんてバカじゃないの?
 子供とかいろいろあるでしょ?」
「いや、子供もいるんですけど」
「いい人っていっても、新しいボスと出会うとか色々あるでしょ?」との切り返し。
今まで、説得力のあるような気がしていた細木先生ですが、カラクリがわかると、「ふ~ん」という感じでした。
この間の話がそのまま役立った(?)ので、ご報告までです。

まさにコールドリーディングは「言いつくろいの技術」だったりするのですよね。

さて、基本的によくできた占いのシステムは二律背反というかダブルミーニングの相を持っています。
(それは本来現実の世界が二律背反的でありそれをそのまま映しているから、という意味あいももちろんあるのでしょう。むしろ、各文化=各占いシステムそれぞれの様相の捉え方のほうがずっと面白くて勉強になるのですが)

さてさて。
コールドリーディングのシステムを単純に書いてみるとこんな感じでしょうか。
コールドリーディングの基本

※しかしPowerPointのデフォルトの色ってダサいなぁ…

このシステムをより洗練させるために、まず鎌掛けして反応をみて… という手順があるわけなのですが、今回の場合には「20代後半で仕事をバリバリ(プッ)やっている女性なら『いい人が出てくるわよ』あたりが過不足無く思い当たりそうなキーワードだろう」という世間知による鎌掛けが見事はずれたということなんでしょうか。「徹子の部屋」スタッフのリサーチ力を見習え、と。

    んが、ここで面白いのは本当に占いにそう出ている可能性もあるってことです。なんせ数千年の間はぐくまれてきているシステムですから、世間的に良くありがちなことは内包している場合が多いというわけでして。

さてさてさて。
福本くんをはじめとする数人(電話を掛けてきたヤツもいた)が面白がって連絡をくれた上記のくだりも無論のこと楽しめたのではありますが、むしろ僕がもっと感心したのはそれまで一切の鎌掛けを無視していたホリエモンこと堀江氏が、小声で「旦那がいるんですよ」「いや、子供もいるんですけど」と楽しげにフォローしていたところだったのでした。
んー。実にいい人だ。
放送作家的に考えてもこれ以上のフォローはちょっと考え付かない。真面目になにか言ったとしても角が立つしね。茶化してしまっても同じだし。


で、さらにさらにもっと面白くて腹を抱えて笑ってしまったのが、その後にあった
「あんた、鍵を作るといいわよ」
というサジェスチョンのほうだったのです。

わかりづらそうだからこれまた図解してみますか。

応用的コールドリーディングというかなんというか

つまり

  • 立ち位置としての自分(専門知識はない)を確立する:支点の確定
  • 相手の業界の行く末の大雑把な方向を下調べしておく
  • 手近な話題で、それでいて大雑把な方向にあった意味合いの託宣をする:力点
  • 相手の業界についても当然当たる:作用点
というわけでして、支点・力点・作用点揃い踏みで内分点というか外分点というか、とにかく距離が離れていればいるほどてこの原理が働いて「なんでこんなことがこの人にわかるんだろう」と吃驚してしまうという寸法なのですな。
よく考えてみれば取材できる範囲の話なのにも関わらずプレゼンテーションの魔術というヤツですんなりとだまされてしまう。

これが普通の人だったら、ネット関連の人間(自分)を相手に「鍵を作れ」とかいったら(言われたら)、「あーセキュアなシステムを作るってことを言ってるのかな?」「そういえばベリサインという会社がありましてね…」などと話をあわせてしまいまんまと罠にかかるだろう所をあっさりと躱した、まさにその瞬間のすんごーく物足りなさそうな細木数子の顔が大笑いのポイントだったのでした。
いやーこれには笑った。

 

投稿者 KQZ : 12:15 | コメント (6) | トラックバック

2005年07月16日

直感的インターフェイスデザインの「直感」って?

大学でデザイン教育を受けてきた立場から見ると、下手なデザイナーが直感という名のもとにあまり考えもせずにひりだしてきたデザインが許せなかったりします。
独りよがりの直感だからです。
そんなこんなで面白そうなことを書いているblogがあるなぁ、ということで反応してみるです。
しかし今の今は岡村靖幸の逮捕のほうが気がかりではあるのですがまぁそれはそれとしまして。

さて、shi3zさん

良いデザインというのは「直感的」であるものだと思います。

「直感的」とは、人間が経験してきた様々な経験の蓄積から、あるパターンを見た時に瞬時にその結果が予想でき、またそれが実際にそのように作動するということです。

とおっしゃり、中嶋さんのblogではもう少し詳しく、
人間は、物が重力によって下に落ちるとか、丸いものはころがるとか、
沸騰してる液体は触ると熱いとか、細い糸はもつれるとか、
薄いものは破れやすいとか、重心の高いものは倒れやすいとか、
冷たいものはぬるくなるとか、息をしないと苦しいとか、
つぶつぶは拾えるとか、炎は上に燃え広がるとか、
だるまはなかなか倒れないとか、
積み木は揺れると崩れるとか、氷の上はすべるとか、
水に濡れると冷たいとか、遠くの音は遅れて小さく聞こえるとか、
腕はある角度以上曲がらないとか、固いものは落ちたら壊れるとか、
ドミノ倒しの原理とか、空洞のものは水に浮くとか、
尖ったものに触ると痛いとか、ねじったものは戻るとか、
細いものを立てると倒れるとか、重いものはなかなか止まらないとか、

そういった物理現象に対する基本的な感覚を、誰に教わるともなく、
幼少のころまでに完璧に学ぶ。さらに、視覚的な情報だけしかなくても、
このような物理現象が起きることを予想し、
それに非常に速く反応することができる。

とそれぞれおっしゃっていますが、以下はそれらについての雑感になります。
といいますかカンタンに言ってしまっている「直感」は誰の「直感」なのか、ということを考えるとなかなかに奥深いと思うのですよ。

例えば人間と比べて10の100乗くらい大きな生物がいたとしたら、窒素ベースの生物がいたとしたら、その直感はきっとわれわれのものとまったく違うだろうに… とかですね。
そんなSFまがいのことを持ち出すまでもなく、(前にも書いた覚えもありますが)おそらく文化圏が異なるだけでずいぶんと「直感」で認識される幅が違うはずなのですから。

ここで話がちょっと飛びます。

さて、大量の情報を操作するときに一番直感的に動かしやすいのは、現状では本のメタファーであることは疑いようがありません。少なくとも僕にとっては、です。
Webサイトでタブを使っているところなどを見ても、いわゆる一般的に「使いやすい」といわれている情報操作系のインターフェイスデザインは本のデザインシステムを踏襲しているはずです。

もう少し例をあげてみると、 「←」 「→」 とアイコンが並んであれば普通は 「戻る」 「進む」 と読み取るでしょう。
でもなんででしょうかね?

この例であげたように、情報の流れや時間の流れが左から右であらわされることが多いのは、人類に右利きが多いことと関係がないとは思えません。直線を引くときには骨格的に左から右へと引いてしまう、そのベクトルが関与している方が多いのではと思うのです。ページをめくる動作もそうでしょう。(魚や動物を書くときにはなんとなく左を向けてしまう、というわけですな)

んで話を戻します。

ことインターフェイスデザインに関して言えば、物理現象というよりは動物である人間の種としての規定、文化的な規定に関係しているのではないか、と思っているのです。

もちろん、いわゆる「常識」を紡ぎだすにいたるのには、さまざまな物理現象を目の当たりにしてきた経験の積み重ねが必要であることには異論はないのですが、僕ら制作者サイドの立場からしてみればむしろその物理現象を捉えるフィルターであるところの人間の動物としての枠組みの方に大きく関係していると考えねばならないのではと思うのです。
幅ったい書き方で繰り返すと、上で「物理現象」と書かれているものは「人間という動物種のうち特定の個人およびその属するグループが認知できる範囲の物理現象」でしかないということです。
なんとなれば、色弱の方の例を挙げるまでもなく可視光線の波長範囲だって聴覚可聴範囲だって個々人でかなり違います。誰でも80歳を過ぎれば歩いていける範囲も狭まりますしマウスの可動スピードもクリックスピードも動体視力も変わってきます。右利きと左利きとでは平均余命も違うという統計もでていることですし、同じ物理現象から受け取る情報にしてもそれなりの差があるでしょう。

こういった差異があるにもかかわらず、下手なデザイナーは自らの規定するフィルターで通過させて理解した「my常識」に過ぎないものを疑いもせず「物理的事実」だと考えてしまい、子供やお年寄りや身体障害者やとりもなおさず多くのバラエティあふれる消費者にとって使いづらいデザインを作ってしまうわけです。
もっとも、文字を右から左に書く言語体系を持つ人々がどのような「常識」で世界を捉えているのかなどはちょっと僕には想像つかないので教えていただきたいのではありますが。

さてさて。
これら云わば「文化的・属個人的常識」であっても「物理的事実」と密接に関係していることも理解しています。

例えば、言語学的に上下方向の高さの度合い=高低を表す言葉と温度の度合い=高低を表す言葉が同じことが多いのは比重が関係しているのかもしれません。
またその中間としては、グラフなどを描くときに下から上に行くにしたがって数が多くなっていくのは「成長」というタイムスケールのちょっと長い生物的動作の表れかもしれませんし、純粋に結晶というか析出していくときに物の嵩が増えていく際、鍾乳洞のようなものが下敷きとしてあったのかも知れません。


(ここでなんだか話が飛びすぎていることに気づいた自分がいる)

翻って。
ではなぜゲームのインタフェイスが「よくできている」と評されることが多いのかということを考えてみたりして。

これについてはいまさらカイヨワなんぞを引くつもりもありませんが、恐らくは「ゲームはそれ自体やりたくてやっている動作だから」ではないかと睨んでいるのです。インターフェイスと内容が密にリンクしているという意味です。

一方で、電話を使うときや炊飯器のスイッチを入れる操作をするときには、「喋りたい」「米を炊きたい」が主にやりたい動作であり、「ボタンをプッシュしたい」と切望している人はまずもっていないでしょう。本質的に内容とリンクしてないですし。

ここら辺の話は20代前半の頃、同じ建築を学ぶ学生でありCLUBKING周辺にいて親しかった鄭秀和くんとデザインやら音楽やらについて熱く青く話していたのですが、鄭君はその思いを10年以上持ち続け、いまではatehakaとかamadanaといったデザイン家電をも手がけている気鋭のデザイナーとなっています。
ですからリモコンや炊飯器を出してきたときには思わずにやりとした次第。
彼はきっと「計算なんかよりボタンをたたいているだけで無性に楽しくなる電卓」を作りたかったデザイナーなのでしょう。TIにもきっといたと思うけどもね。
 →atehakaの家電など
 →amadanaのキッチン用品など

こう考えていくと、クルマやバイクのデザインに素晴らしいものが多く散見されるというのには、ゲームと同じく「操作するだけで楽しい」というそれ自体の性質が関係しているのかもしれませんね。Macintoshのファインダーもそうかもしれませんが。

雑感1
そういえば数年前に小西康陽さんの個人事務所のサイトデザイン用にNendographixxxのANIさんとモリサワジュンさんと組んで「平面的なタブ構成による情報切り替えではなく画面の奥へ奥へと進んでいくデザイン」というのを考えて出したことがありますが、あまりに斬新過ぎたからかボツを食らったこともありましたっけ。あまりに逸脱しすぎてもダメってことですな。
雑感2
先週だかに中嶋さんに「気持ちよく幾何の操作ができるインターフェイスがDSでできないか」とか話しましたが、同じようなことを考えているやつらがPalo Altoにいやがりました。→http://www.tactiva.com/ かっちょいー。まさに操作するだけで楽しそう。10年以上前にHyperCardでしこしこと作っていたものを引っ張り出したくなってきましたわさ。

投稿者 KQZ : 12:28 | コメント (3) | トラックバック

2005年06月21日

本の選定などしてみたり

とりあえずネタ備忘録。

専門学校は基本的に実学志向なので(違うの? よく知らないんだけど)ガシガシの理論なんかよりHow Toの方がいいような気もするのではありますが、少なくとも基本のキくらいは押さえておかないと会話にすらならないのではないか、ということで関連の授業用の底本をピックアップしてみたりして。

しかし悩みどころなのはどのくらいのレベルのものならいいのか、という点。
恐らくスタニスラフスキイシステムとかは意味ないのかなぁ、とかいうのはうっすらと判ってはいるのだが…。「読んどけ」だけじゃすまなそうだし(つか危険か)ちゃんとやってったら一年かかりそうだし。
はてさてどこら辺を基準にしていいのやら良く判らんですたい。


まずは定番の「アイデアのつくり方」か。
おまじない代わりというか気休めの意味でもこれくらいは押さえておかないとアレですか。

実学というか評価システムとしてだったら「ハリウッド・リライティング・バイブル」あたりはとりあえず押さえておいてもらうか。良しにつけ悪しきにつけ「商売になる」ためのひとつの目線ではあるし。
別にこちとらアーティスト育てるわけじゃないわけではないのです、と言うことで。それに特別講師だし。

個人的には「物語の作り方―ガルシア=マルケスのシナリオ教室」あたりも押さえておきたかったりするけど、ちょっと冗長なところがあるしおいておくか。

あと判りやすいところでいうと、大塚英志著「物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン」とかか…。
毀誉褒貶の激しい作者さんのようですが(会ったことないから真偽のほどは知らないけど)、これも浅く読むとかぁるく誤解してしまいそうだしちょっと心配。

んでカード式のシナリオ展開システムとかいうんだったら、むしろ易経とかタロットカードとかの各配置による意味の生成システムをしっかり読み込んだ方がずっと勉強になると思うし。(ちなみに占いなんてする必要は皆無。読みこむだけでO.K. なにせ数千年もの間、人の世の森羅万象を限られたビット数の中に読み出だそうとしてきた強固なシステムなのだ。行きつ戻りつ流れ縷々たゆたう意味の駆け引きはよーく読んでいくだけでも面白いわけで)
タロット関係だったら「ユングとタロット―元型の旅」くらいかな? ちょっと高いか。あまりやりすぎると本末転倒になっちゃうしにぃ。(昔話や世界の神話の元型とかいう領域に迷い込むと楽しすぎるので帰って来れなくなりそう)

それと「キャラクター塾」とか「劇画村塾」で有名な小池一夫さんの「キャラクターはこう活かす!―スーパーキャラクターを創ろう」も押さえてはおきたいけれど、同じように誤解されがちですしにぃ。
裸の女が銀座の町を歩いている…」とか前知識も無くいきなり読んだらビックリするだろうけど、それもまた見てみたい気もしたりして。

ま、思いつくままにこんなとこかな。
テキトーに追記していこうっと。

   

投稿者 KQZ : 19:19 | コメント (2) | トラックバック

2005年04月19日

アスペクト比の不思議

このエントリーの続き。

任天堂サイトにムービーがあったのでリンク。
ここここ

おそらく立っているシーンはNTSC→HDで、横になっているシーンはHD→NTSCなんだろう。
お手篇」30秒バージョンの17秒目以降とかはHD→NTSCだね、たぶん。
しかしその直前の風呂に入ってるシーンはどうやって撮ったんだろう。両腕はHD→NTSCで、顔はNTSC→HDで変換しているらしい。
不思議だ。不思議すぎる。



ちなみにアスペクト比についてはこちら。 →IT用語辞典e-Words:アスペクト比とは

投稿者 KQZ : 17:35 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月02日

ネット広告黎明期のお話 〜へなちょこプロジェクト×

そういえば一昨日だかの夜、常盤響さん、工藤ちゃん@東京Topless、カトリーヌの4人で四ツ谷で仕事絡みの打ち合わせで飲んでいたのだった。
新しいサービスマークのデザイン案件の打ち合わせの方は順調に進み「mixiはリハビリっぽいね」とか高尚なるエロ話とかいう話を挟みつつ話題は次第にインターネット黎明期の話題になっていった。

今を去ること10年前。(ん? そんなに前か??)
今では信じられないことなのだが、当時ウェブに広告を出すことなんて誰も思いもしなかったのだ。
というか当時は某広告代理店に務めていたのでシステム開発室の室長にIIJの専回線を引いてもらおうと直訴した所、「そんなもんで金が稼げると思ってるのか!」と一蹴されてしまった、という太古の昔のお話さな。
「俺とお前の勝負だ!」とか指を突きつけられたりね。異常な世界だ。

結局、別名の予算を取ってそこで月40万だかの64K専用回線を引いたんだったっけかなぁ。当時は公開企業じゃなかったから適当にそんなことをやっていたもんだわさ。
時効時効。

まずこういった新しい媒体にはまず「ひとつ」だけでいいので金額が発生しないと無理だ、と大きく主張したのが僕だったのだ。「この紙っぺらはアメリカ政府が金に兌換してくれる」というイメージがあったればこそドルは流通の度合いを広めたってことですわよ。

その『信用』という支点をどこに置くかという事について当時は新聞局にいて後にCCIに社長として出向したFくんとの間には見解の相違がかなりあった。
正統派たる彼は全国紙新聞メディアのWeb媒体にナショナルスポンサーの広告を載せるという真っ当な主張をしたのだが、そんな時間は待てないという僕。
いかに某新聞社のサイトに広告バナーを載せようと努力しようとも、企業側の担当者にも代理店内部の企業担当営業にも理解を得ることは真に難しく、年間のバジェットで貰っている広告費の中から適当にお金を都合して体裁をそろえようともがいていた、というのが真実の姿だった。
しかしそんなものが実態経済の権化としてのマーケティングの世界で通用する筈もないので、「ネット広告は本当に効果がある!」という媒体者にも広告主にもユーザーにも、全ての関与者にWin-Win-Winな関係(懐かしいワーディングだこと)を構築できるのは… と考えに考えて2秒で目をつけた媒体が東京Toplessだったのだ。

東京Topless主催の工藤ちゃんとは、当時無理やり組んだ週刊SPA!のインターネット特集でも取材しており懇意でもあったので話はとんとん拍子に進んでいった。
そして栄えある日本初のインターネット媒体の広告主候補は、某包茎手術専門美容医療医院だった。
互いにWin-Win-WInとバイブレーター並の三重奏だということは誰にもお分かりだろうて。

さて、担当の営業からもお得意先からも「面白い」と了承を得て、アニメーションGIFバナーも受け皿になるページも手作りして、いざ公開…  という段になっていきなりストップしてしまった。
話を聞くと、お得意先が主催したゴルフコンペで担当営業が集計用のExcelファイルを誤操作してしまいデータがすっ飛んだとかで出入り禁止になってしまったのだとか。つくづくマンガチックな展開で泣けてくる。
包茎手術前、手術後の写真をスキャンしてページを作った努力も、それらを無修整でネットに上げる可否を弁護士に相談した努力も、すべてゴルフ場でのパソコンの誤操作で水の泡になってしまったという次第。

こんな嘘のようなホントのどたばた騒ぎがあり、日本初のリアルな(実業に則した)Web広告という冠は包茎手術の広告では無くなったのだった。
今から考えればそれはそれで良かったのかもしれないケド。

その後、色々とネット周辺ビジネスが騒がしくなり、ビットバレーだとかいったよく分からないうわべだけの熱狂に距離を感じ、とどめには可愛がっていた後輩の変節を期にネットのビジネスゲームからは遠ざかったのだった。
ちょうど広告代理店に入社した折りに表向き休止していたライター稼業や放送作家業、ゲーム制作などを会社が「アーティスト契約」という名の元にオフィシャルな作業として認めてくれたのでそちらに重点を置いたり、2002年WCの誘致キャンペーンチームに組み込まれたりと忙しかったしね。自殺した某半島系代議士に「情報教えろ」と食事に誘われたり盗聴されたりと不思議な経験も出来たし。

同じようにネットバブルの喧騒に疑問を抱いていたDigital Magic Lab創設者の吉川くんはシリコンバレーに渡り、今ではIPインフュージョン社を率いており、また東京で仲良く飲んだりしている。件の後輩もどんな葛藤があったのかは知らないが元の会社に戻ったようだ。
時代は巡り、立場は変わる。信頼できる友人は変わらない。いやそうありたい。

なんてとを10年来の古株ネットバカ達と飲みながら思い出してうひゃうひゃと飲んでいた春の夜だったのだ。

投稿者 KQZ : 01:51 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月01日

言葉にならない気持ちとメタな言葉

テレビCFの話。(なんか長井秀和みたいな書き出しだなー)

なんだか気になるCFがときどきある。
今は「レモン青汁」がそれだ。
サイトで確認すると「早く飲みたい篇」というやつらしい。
http://www.greenhouse-e.com/cm.html

なにが気になるのかというと概略を説明せねばなるまい。
財前直美扮する女性上司が部下を送り出しつつ青汁を飲もうとしている。
飲む寸前になると部下が挨拶をしていくのでなかなか飲めない。
「頼むよ飲ませてくださいよ」というのがオチなのだが、
気になって仕方がないのがその後の部下の男の表情なのだ。

姉に対する弟のような、じゃれついているというか、小バカにしているというか、なんとも薄気味の悪い、それでいて嫌味の感じられない微妙な表情をしているのだ。

元々CFを作る側に長いこといたので、この微妙さ加減をどう演出して、どう演技指導したのか、とてもとても気になってしまうのだ。
その前にどう思いついたのだろうか。
現場で色々とやらせてみて編集室であーだこーだとセレクトして… というのが考えられる線だとは思うのだが、こういう引っかかり方というのはしてやられた感が非常に強い。
2〜3年前のアイフルのお姉さんの絶妙な非・美人加減(not美人、というわけではないのであえて「不美人」という使用されがちなワーディングを忌避しております)もCF制作者連中の間では「あー、そこ来たぁ? してやられた…」と話題になっていたが、それに近い感覚なのだ。

数行前に自分で書いた「なんとも薄気味の悪い」居心地の悪さというのは、言葉にすることができない表情を見せつけられたときに自分の脳内で把握する(mappingしてある)場所がないからなのだと、ふと、思った。

    (そしてこの読点の微妙な打ち方は読者に対する微妙さを体感してもらおうと思ってわざと普通と違ったうち方をしているわけです。なんかメタな解説でやだなー。構造化したいよね、こういうのって。javaで折りたたむか?)


さて、ちょっと話を変えてみる。

MMORPGなどでは感情表現のコマンドが用意されていることが多い。
emoteコマンドといわれるやつだ。
/wave と打ち込むとキャラクターが手を振ったりするのが一般的だが、近頃は非常に豊富なエモートコマンドが用意されていることが多く、同じ笑うでも /smile だけではなく /cackle(甲高く笑う) /chuckle(含み笑い) /giggle(忍び笑いをする) /snicker(ほくそえむ) などがあったりもする。中には /violin などでバイオリンを弾くまねをしたりするのだ。どういうところで使うのかはよくわからんが。

これらはゲーム開発者が意図して作った感情表現であり、プレイヤーはそれらを「コマンド」として動きとその意味するところを一旦認識・把握してから、そのときの自分の感情にあわせて「コマンド」をコマンド群から選択し、分身であるキャラクターに「コマンド」を打ち込んで感情を表現しているのだ。

もったいぶった書き方に見えるかもしれないが注意して欲しい。
逆にいえば、用意された範囲でしか感情表現ができない(ように見える)ということなのだな。

    (ように見える、と書いたのは、開発者側が意図していない使い方をしてプレイヤー側が勝手に遊ぶことも多いからなのだな。エモートコマンドを続けて打ちこんだりしてあたかもラジオ体操をしているように見せたりもできるしぃ)


話を元に戻す。

僕らは言葉に規定された枠の中で感情を表現してはいないだろうか。
言葉にならない気持ちは「元々から無かったもの」として扱われてはいないだろうか。

よく「アメリカ英語には肩こりという言葉がないからアメリカ人は肩が凝らない」と言われる。
その対極(対偶の真)には『言霊』という「言葉を発することにより実効を伴う」という考え方も存在する。


さて。
話をまたもすっ飛ばす。

こうしてblogを書いている僕はというと、HTMLの記述の範囲内で自分の現したい言葉の置き方を模索しつつ打ち込んでいる。(たとえばULタグを使ってちょっとインテンドさせたりね)
本当は「打ち込む」という言葉ではなく「Design」という言葉に近しいはずなのだが、それはまた別のお話。

HTMLに対してXMLという言語体系があるが(cssでもいいけど)、タグ自身のあり方を記述していくように、エモートコマンドも自分でキャラクターの動きを細かく記述しておくことも可能になるのかもしれない。(いや技術的には今すぐにでも可能だが面倒くささとのトレードオフからして無理)
仲間内だけでの符牒をつくりそれを使うことによる親近感の増大や情報伝達速度および強度の飛躍的な増大は広く知られるところだが、新しい体系による言葉の発明にはそういった可能性がいつでも潜んでいるのではあるまいか。


さて、話が元に戻る時間だ。(眠いからなのだが)

しかししかし。
「言葉」自身をも記述していくことはいつでも誰にとってでも可能なことなんだろうか。

文字本来の意味を無視した使われ方としてのAA(アスキーアート)というものは古くから存在する。
「七瀬再び」で筒井康隆がやったタイポグラフィーの遊び方や、見立てという形であればネット以前からもあるし、表意文字の成り立ちからすれば(近くは国字とかもね)それこそ数千年前から存在する、いわば人間の本性にその機能はあると言えるだろう。

    (しかしamazonは便利だのぉ。本やCDの画像を取れるだけでなく残像に口紅をの抄訳とか自分で書かなくてもリンクを踏めば分かってもらえるわけで。ここら辺もアレかな。↓以下続く)

新しい定義の発明、もしくはそのものに対して意図されていなかった新しい使い方を発明することによる感覚の拡張(enhanced)がクリエイティブのひとつの柱なのかもしれない。(少なくとも僕にはそう思える)
そしてそれは動物ならぬ人間が人間たる所以なのかと。
テレビ番組の世界でもそう。別にタレント同士が自腹で豪勢な食事を奢ろう奢るまいがが、冷静に考えてみればそんなものはどうでもいいことなのだが、結果的にくだらんじゃんけん程度のミニゲームでも視聴者の目は確実に止まってしまう。これも一つの視聴態度への拡張の働きかけだろう。こんなテレビのあり方を発明したヤツはエライ。NG集だけで番組一本作った最初のヤツもエライ。どれも30年前にはだれも考えつかなかったシステムだからだ。
こうやって考えていけばネットとラジオの融合番組のシステムにしたって、いくつかの雛形はぽんぽこぽんぽんと出てくるって寸法だ。まだ誰も成功してはいないみたいだけどやりはじめりゃすぐだろうて。CLUBKING.COMの初代おしかけ編集長をやっていた時に桑原茂一さんに「Just 10 click journey」という企画を出したことがあるが、ちょうどあんな感じ。Talentedなクリエイターが同じサイトから10クリックだけの短い旅をする、すると人それぞれ全く違う所にたどり着く、たったそれだけでも話ながらやっていると面白くて仕方がないのだ。ま、当時はネット使ってる人口が今の100分の1だったから企画は結実しなかったけれども。
大体さぁ、ラジオが移動体向けだってこと忘れてるヤツが大過ぎないかぃ…(以下略)



しかし朝の時間に見かけるCMの一秒にも満たない微妙な表情に引っかかってしまいココまで長文を書いてしまったのはちょっとやるせないのではあるが。
しかしてその実態はというと、このエントリーはコメンドクサイ長文(しかもオチも感慨もなし)を書くことによって読者数を減らそうという作者の意図でもあるのだな。

ま、上述したとおりに意図は外すものでつまるところ読み方は色々あるので、上の一文を取り上げて「格闘ゲームのガードキャンセルなんてのも製作者の意図とはずした使い方で近いよねん」とか「つくりこまれた破綻という視点という意味ではゲームの裏技って後期のものはイースターエッグでもなく純粋に楽しみとして作ってたよね」とか「ほりえもんは商法が記述していたはずの制限を新たに拡張してみせたクリエイターなのだ」なぁんて読み替えることだって不可能ではないのだ。傾奇者つか。
やはりオチなし。
ただ言えることってのは、筒井康隆は色々と日本語表現をenhanceしてくれてすごいなー、ってことですか。



七瀬ふたたび

七瀬ふたたび

家族八景

家族八景

エディプスの恋人

エディプスの恋人

残像に口紅を

残像に口紅を


投稿者 KQZ : 00:14 | コメント (3) | トラックバック

2005年01月27日

暇な会議も嫌だが

出番のない会議は憂鬱であるとは言うものの、
会議中ずーっと喋るだけ喋らされいろいろと知恵授けて来たと思ったら、帰りの飛行機に乗ってる途中で全部ひっくり返されるようなことされて、あわてて呼びつけて「なんで黙ってそんなことする!」と怒ったら
「だってあらかじめ相談したら否定されるでしょ。だから黙ってやったんです」
と開き直るラーメン大好き小池さんみたいなプロデューサー部長がいる会社など潰れてしまえ。逆上がりもできないうちに大車輪しようとしてんじゃねーよ。

…なんていう会議がもし仮に万が一たまさかあったら嫌だなぁ。
いやあくまでも、仮に、の話だけど。


さらに役員は若作りのなぎら健一だったりにやけたディレクターは蛇に似てたり営業は海坊主だったり担当プログラマーは左門豊作の一番下の弟と杉作J太郎を足して3で割ったみたいだったりしたらもう目もあてらんない。
いや確かにその蛇に似たつるっとした男は∪○の有名プレイヤーかもしれませんが「不良プレイヤーとして」という修飾句がついて回っているということについてはどう思われていますか取締役様。

んで揃いもそろって出席者全員が妙に声がカン高くて、何を言っても「あ、それはですね、ちょうどやろうと前々から企画中でした…」とか嘘八百万盛大に並べて取り繕ったりする会議もやってらんない。

そのプログラマーがshi3zさんの知り合いだったとしてもちょっと許しがたい。

いや、あくまでも、仮に、の話なのだが。

それに比べれば暇な会議は極楽だ、という事。

投稿者 KQZ : 01:13 | コメント (8) | トラックバック

2005年01月14日

404 - Not Found がすげー多い

1月8日にMovableTypeのシステム変更をしてから5日間で404がすでに一日700くらい返されてる様子。
むーん。
別にこちらには実感はないんだけどどことはなく申し訳ない感じ。
googleのロボットさんに隅々まで再クロールしてもらいたいもんですなぁ…。
404.html でも作ってサイト内検索窓を付けるか。
「申し訳ありませんが当blogはURLを大幅変更いたしました。
 心当たりの語句を再度検索してみてください」
とかとか。

投稿者 KQZ : 00:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月07日

待ち行列について考えてみた

ここんとこ昼間つめている仕事場なのだが、どうにも許せないことがあるのだ。
いや、職場環境としては若い会社だけに風通しはいいし、ミッションがはっきりしているだけに話もスムースでそこらへんは問題は無い。コンビニが近くになかったり駅から登りの坂道で10分かかったり受付嬢がカエルみたいだったりといった事もない。つか受付嬢いないし。
でもって一つだけ懸念しているのがフロアのトイレの数なのだ。

ざっと見てワンフロアで250人からの収容人員があるのだが、男子トイレには大小2台ずつの便器しかない。
サラリーマンの平均昼間うんこ率がいかほどなのかは寡聞にして知らないが、男女比率7割として考えて175、そのうち4割がうんこをするとして70人、一人のうんこタイムを5分と見積もって350分・人。
一般的に昼休みが12時から13時であることから、人がトイレに集中する時間は12時半からの2時間くらいだろうか。
そりゃ足りるわけが無いってーの。

上で懸念と書いたのは「もし(うんこ的に)緊迫した事態に陥ったら…」という危機管理的考察からなのである。
ほぼ確実に空いていない事を分かっていてそれでもなお便所を探すという、空しくも苦々しいそして逃げることの適わない苦闘を強いられるとは想像するだけでも気が塞いでしまう。日の丸を背負って軍歌でも歌いながら歯を食いしばって我慢するしか方策はない。かもしれない。

また、大体こういった待ち行列問題の場合1,000人のときに10台で足りた経験則があったからといってその比率のまま200人で2台でオーケーというワケにはいかない。(一応大学は建築学科卒で待ち行列に関係するゲームも作ってたのだがそれはそれとして)
詳しくは「待ち行列」とか「行列問題」とかでぐぐると吉なのだが、殊このうんこ問題に関して言えば「ユーザー(?)はほぼ並ばない」「我慢してしまう」(=問題が表面化しづらい)「最悪便秘フラグが立ちそれが習慣化すると翌日以降の行列参加傾向が暫時減っていく」などといった難しい問題をはらんでいるのだ。
たかがうんこ問題といって笑ってはいられない。
考えてもみてほしい。これはサービス全般についていえることで、一度二度とユーザーの期待を外してしまうと次の汚名挽回の機会すら与えられないという由々しき事態へとつながるのだから。
トイレなら「もーいつまで経ってもうんこ出来ないからおしっこでいいや」はありえないが、「ゲームできないからテレビでも見よう」「カレー食えないからうどんでいいや」というのは十二分にありえるからだ。うんこの話をしながらカレーを食うなとかいう話題はここでは置いておく。

また良くある待ち行列問題での解決策としては「窓口を増やす」もしくは「サービス時間を短縮する」というに方向があるわけだが、このうんこ問題の場合には借りビルであるがゆえに窓口の数(便器数)を増やすことができない。つまりサービス時間=個々人のうんこ時間を短くすることしか方策がないと結論付けられる。
一般に窓口の数を増やすよりサービス時間を短縮した方が効果があると知られていることだし、便所内に「うんこは素早く」と張り紙でもしたほうが良いのではないかと思われる次第である。会社を経営されている社長さん方は一考の価値があると思うのだがいかがだろうか。

ちなみに待ち行列の基本に関してはココらへんが分かりやすく書いてある様子。
「サルでもわかる待ち行列」 http://www.objectclub.jp/technicaldoc/monkey/s_wait
うんこに行く時間が指数分布なのかどうかは知らんけどね。

投稿者 KQZ : 17:40 | コメント (1) | トラックバック

2004年12月27日

PCゲーム周りのネタ備忘録

▼USB接続のPC用ゲームパッド

  • ユニークID
  • 接続すると自動的にマッチングサーバに接続
  • 課金決裁も対応
  • ゲームアプリ等は都度ダウンロード。ミニアプリくらいならパッド内のメモリに入れとけ。
  • 全個人情報はユニークIDによりサーバ上でハンドリング。あぁ、パッド内のメモリでもいいか。
  • 販売価格3,000円程度でできるのか? > やっさんに聞いてみよ-
  • WebMoneyなどのコード入力をしやすくデザインしておくこと。


▼なぜゲームパッドなのか?

  • 入力デバイスの違い。キーボードとゲームパッドでは心理的没入のスピードと深さに大きな差がある。じっくりやるMMORPGなんかは部屋でやってもらうとして、対戦ゲームなんかはパッドだよなぁ。
  • PCがリビングルームに進出してきた場合、現行のキーボードは見た目からして似合わない。 →別途キーボードデザインも考えるか
  • マイク入力はどうなんだろか? まだ心理的障害が大きいよな。うるさいし。


てな事を考えていたりするので備忘録がわりにアップ。

投稿者 KQZ : 16:49 | コメント (1) | トラックバック

2004年11月17日

ある秋の日の出来事

しばらくはゆっくりとしようと思っていたらば朝九時から某所に呼ばれてふにふに。久しぶりに外国人の話を聞く。アメリカ人の英語はわかりやすいのぉ。

自転車で赤坂方面へ移動。途中日本財団のビルの中にあるスワンベーカリーでさくっと昼飯をとり、昼過ぎにI&Pに到着。
この後3時に六本木で打ち合わせがあるのだがちょっと早かったので切込隊長ひげいとうとだべって時間をつぶす。いや仕事の話ももちろんしたんだけどもさ。

「無知と貧乏は消極的な犯罪だ」と緑色の人がのたまえば、隣で髭の男がうなだれるという楽しい見世物を堪能していると3時近くになってしまいあらあらと退席する。
しかしその後10分たらずでこんな長文のエントリーをあげているとはさすがは童貞社長だ。

さてさて次の打ち合わせ。
六本木駅近くの某店舗がオーナーの慶事により盛業ながらも発展的解散をするというので、独立を考えている友人のバーテンダーくんと見に行くことにしたのだ。
立地条件もいいし、なによりオーナーさんがいい人そうだ。非常に気に入ったので99パーセント以上の確率でここで店をやることになりそうな。もちろん出資もすることになるわけで、これまで単なる酒好き・美味しいもの好きだったのだがお店の経営みたいなこともやることになるのは進化というか退化というかなんというか。

家に帰ってうだうだと書き物。
夕方、きんときさんが出先から「カマロンカマロン」とうるさく言うので神谷町のスペインバル・カマロンに予約をする。
このところ大人気店になってしまったので予約がとりづらかったのだが早めの時間だったからすべりこみセーフ。席に座ると次々にお客さんが来ては玉砕していく。やはり人気店になっちゃったんだにぃ。

まずはカマロンセット。すっきり辛口のシェリー「ラ・ヒナータ」と塩茹での小海老がよくあうのだ。
ほうれん草のオムレツは以前より少しオムレツっぽくなっている。前のはほうれん草の塊だったものね。相変わらずうまい。
炭焼き赤ピーマンの詰め物はリコッタチーズだけでなく木の実も入るようになったようだ。んまい。
お奨めだという北海ダコを使ったじゃがいもとのオーブン焼きは白ワインにあいそうなのでハーフボトルで頼んでみる。
サロマ湖の牡蠣のオリーブオイル煮がすこぶる旨い。なんでもしょっつるに似たスペインの調味料に牡蠣を漬け込み、それをニンニクとハーブのペーストとともにたっぷりのオリーブオイルとともに煮込んだのだという。パンに浸して食べると幸せそのもの。ということでパンをお代わりしてもらい皿を洗う必要もないくらいにはぐはぐと食べつくす。
最後はモルシージャの土鍋炊き込みご飯で締める。モルシージャというのは豚の血の腸詰めのことで、レバーに似た味わい深さがたまらなく旨いのだ。いや、さっきから「旨いうまい」と書いてはいるが、スペイン料理の奥深さを知ったのがほぼココが入口なので語意が少ないだけなのだな。(10年近く前に外苑前の某店で講談社の北村周さんに連れて行ってもらったのがお気に入りだったのだが、店が移転してしまってから大して感心しなくなってしまったのだ。移転前には逢坂剛さんとも何度かお会いしたものだったのだが)
土鍋ご飯には軽めの赤をグラスで戴く。
最後にカモミールティーとエスプレッソで大満足。飲み終わったエスプレッソのカップにスペインのグラッパ「オルホ」を注いでもらいくいっと飲み干す。ぷはー。胃の腑が落ち着きますのぉ。
色々と話をしていると、来週火曜日の逗子獣肉ツアーに須釜さんが参加したいとのこと。
なんだか濃いいメンツになりそうですが、楽しいのでこれもまたよし。

投稿者 KQZ : 22:33 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月12日

やっと落ち着いたのでちょっと整理

ここ2週間がとこ京都‐東京‐福岡といった具合に2日しか東京にいられなかったため、あまり身の回りの整理しておりませんでした。というかその前の週には韓国に行ってたんだっけか。
何かとせわしなかったこともあり、特にblog周りはなーんにもしてなかったわけでして、ここらでちょっとまとめてみましょうか。

まずは10月3日のエントリーで懸念していた通り、「情熱大陸」で放送されたらその晩のうちに「御近所和食:赤坂 菊乃井」のページが1,000アクセスを超えてました。
結構テレビを見てからネットで検索する人がいるってことなんすね。


それと、トラックバックをいただきました。
「理系男がなぜもてないか」というshi3zさんのblogに反応して書いたエントリーにいただいたのですが、元々もてる/もてないというのはshi3zさんの十八番なのですよね。
ただボクは「勘違い理系女子」と「勘違いさせてしまう理系男子」の関係がどーにも見てらんないというだけなのです。合コンにおけるスチュワーデスの傍若無人ぶりと同じくらいに。
トラックバックをいただいたMamixさんは女子大の理系だったそうですが、ゲルマニウム温泉を例に引いたのには他意はまったくありませんので。念のため。


それから、ネットゲーム運営についてつぶやいてみたエントリーに関してもshi3zさんからトラックバックをいただきました。

http://blog.livedoor.jp/shi3z/archives/7838342.html


たとえばKQZさんは、ユーザの不満の表現手段ををメールやWeb上のフォームに頼るべきでなく、それよりはむしろゲーム内のキャラクターがユーザから直接小さな不満を聞きだすべきだ、というような主張をされています。

これはそのまんま小売業を含めたエンドユーザ向け商売の全てに当てはまるのではないかと思います。


(中略)


「アンケートを書いてもらう」という観測手段によっておのずと「アンケートを書くような熱心な顧客だけから意見をもらう」ということになります。

これは確かにその通りなのですが、広告代理店にいた経験上こういった人の行動が自らの認知に及ぼす作用(変な言い方だなー)を逆手に取ることもできたりします。
たとえば商品の新発売や てこ入れ などの場合など、商品名称の認知をあげるためのキャンペーンではわざとコミュニケーションルートとはちょっと別のルートでリターンをもらうようにデザインすることが多いのですね。(もちろんリターンは貰いやすく)
そうすると一旦編集作業が入りますから、「えーっと、ほれ、あの。あれ、なんだっけかなー。そうそう…」という具合に商品名・サービス名を想起する際に記憶が強化されるということですね。

逆にネットゲームなどの場合、大抵のユーザーからのリアクションは苦情や不満である事が多いのです。それを芽のうちにすくい上げることができれば好印象のうちに収拾がつくでしょうが、逆は倍返しがまっています。
大抵の人は別のコミュニケーションルートに移動することをめんどくさがりますので「ま、いいか」と流す方向に向かいます。しかしそれが度重なると運営サイドに対する諦めや不信感へとつながるというわけです。
また別のコミュニケーションルートへ移動する事をいとわないユーザーさんのことを考えてみても、まだまだ些細な不満の段階であっても、わざわざメーラーを立ち上げて整理して考えてみると「なんでオレはかね払ってるユーザーなのにこんな面倒っちいことしなきゃならんねん?」などとむかっ腹が立ってくる場合も往々にあるでしょう。強度が増してしまうわけですね。
#これ以上はごくごくニッチは分野に立ち入るのでやめ

続けて、

まあ一番簡単なのは、プロデューサー自らが遊んでみて感じた不満をとりあえずは全て解消してみることです。

くはぁっ。看過されてましたか。
実際に担当していたMMORPGでやりましたが、仕事中の待ち時間や家に帰って寝る前などの空いた時間に、全種族・全職業でレベル20〜30くらいまで必死に育ててみて、そこから初めて見えてくるものもあるってこってす。
延べで数百人からのユーザーとグループを組んで遊んでいると、おのずから「あーなんだよこの●●って。もうちょっと△△にならねーのかなぁ」とかいったぼやきが聞こえてくるわけです。水戸黄門かよ>俺

ただし、遊んでみるプロデューサー側にもちょいとしたコツがいるんですね。
前に「小津安二郎の映画を見るときにビデオではダメ。なぜならリモコンがあることを知っているから」と書いたとおり、プロデューサーはどうしても一般ユーザーの視点を忘れがちになってしまうからなのです。
数十時間間隔でPOPする強いモンスターや、数ヶ月もの時間を掛けて完成させたクエストでもらえる武器のありがたみを「あぁ、テストサーバーではコマンド一発で湧かせられるし」とかとか頭の片隅でどーーーしても考えてしまいがちなのですから。それを忘れる自制心は少なくとも必要です。ゲームマスターを面接するときにもその視点がないと変な事故がおきてしまいがちです。幸いな事に僕の担当したMMORPGではそういったことはありませんでしたが。(つかそれが普通なのだがな)

ま、これ以上はエントリーのタイトルと関係なくなってしまうから別の機会に書きましょうかね、っと。

投稿者 KQZ : 08:08 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月08日

昨日今日に話していた内容

どこで誰を相手にどんな文脈だかは内緒ではあるのだが忘備録。


  • ネットゲームは「運営」「プロモーション」「開発」の三本の柱と「課金」「サーバ管理」「カスタマーフロント」…などの土台とで成り立っている。
  • ユーザーに一番近いのはいうまでもなく「運営」であり、サービスの基本となる。(絶対条件として上の項でいうところの土台部分が最重要であることはこの場合置いておく。ココがダメならサービスしてはいけないくらいだからだ)
  • 三本の柱のどれかが強ければ一定の成功を見るだろうが(特にプロモーション)、全ての柱があってこそというのはいうまでもない。
  • これら三本の柱からなるトライアングルから外は全てユーザーのものであり、ユーザー同士のコミュニティを潰すような運営陣・プロモーション陣は物事を分かっていない。攻略情報が載っていたファンサイトを潰す、などといった行為は焚書坑儒の時代じゃないのだから愚の骨頂である。ユーザーからの不信感を強めるだけ。
  • むしろそれらがあった上でも楽しめるような事(運営マターで解決する事もあるだろし、開発マターの事もある。プロモとの連動もあるし)を考える方向にリソースをかけるべき。
  • ユーザーの不満はそのままの形ですくい上げられるように最大限の努力をする。メールやWebのForm投稿などではユーザーの姿勢(*1)が変わってしまい、本来は改善の手がかりとなるはずの些細なレベルでの不満やアイデアを「ま、いっか」と諦めさせてしまうからである。
  • 三回の諦めが続けばそれは次第に不安、そして不満へと暗く重く変化していき問題を更に悪化させるであろう。一旦大きくなった不満は連鎖する。
  • なるべくキーボードから手を離さずに、目線も動かさずに、座る姿勢も変えずに、ゲームを一緒にやっている友達と喋る感覚で(*2)「軽い不満」レベルの段階ですくい取り、それを早い段階でフィードバックできるように仕組めば「軽い不満」は逆に「お、なかなか対応早いじゃん」という正の方向に動いていくであろう。
  • 開発チームはユーザーの生の気持ちから一番遠く離れている。開発チームこそ一般ユーザーと交わって遊んでみるべきだが、少なくとも運営チームとの連絡を密に取らねばならない。
(中略)

  • 愛ある運営サイドはよいチームになる可能性を十二分に持ちえているが、えてしてユーザー至上主義の呪縛に陥りがちである。
  • ある程度育ってきた運営メンバー(シニアゲームマスターレベル)には「ネットゲームの目的は、究極的には運営会社の利益を追求することにある」という禅問答にも似た命題を与え、自らなぜそうなのかという事を気づかせることが大切である。(*3)
  • なんとなればユーザーが希求して止まないのは「サービスの永続性」であり、その根本として運営会社の利益があるかたなのだ。ここを自らが理解しえれば、多くの運営面での悩みは雲散霧消する。
  • しかし、そのレベルに達していない運営メンバーには前述の命題を耳に入れてしまうのは危険である。愛のある運営メンバーであればプロデューサーチームを信用しなくなるであろうし、それ以前の段階のメンバーであればユーザーをないがしろにしてしまうからである。

(後略)


ん〜。
しかしどうでもいいような事ばかり話してたんだなぁ。
あ、それから明日から九州に行くのでしばらく更新しないような薬罐。
帰ってきたら手直し必至。



註*1
ここらへん参照

 ハガキもしくはファックスというのはラジオ/テレビを視聴している姿勢から、

 いったん書くという姿勢にチェンジしなければならないわけで、

 その際に人間というものは自然と編集作業をするものなのだ。

  ま、重心がかかとより(=視聴)姿勢からつま先より(=参加)姿勢へと移動する時に

  なんらかの編集をしてしまうのが人間なのかもしれない、なんていう言い方もできるのだが。

デバイスによって関係も内容もどうしたって変化する ということね。

註*2
なにぃ? 「開発が協力してくれないからそんなシステム出来ないよ」だとぉ? 空いてるPCで「目安箱」とか「感想君」とでも名付けたキャラ作ってそいつに喋り掛けて貰って、その内容をイベントやメルマガ、Webでフィードバックするくらいのことは出来るだろがヴォケ

註*3
答えを教えてしまうのと、自らが思いつくのでは理解の深さが全然違う。多分世の中で『コーチン具』とかいってる輩は究極的にはこれを言ってるのだろう。んなもん高い金払ってセミナー行って習うもんじゃねーや。しかし、大谷由里子さんって数年前までは例の小林正和と一緒にイベントの現場作業とかやってたはずだし。ま、関係ないからいいけど。あ、こばんは関係あったんだっけ?(このネタは引っ張ります)

投稿者 KQZ : 11:05 | コメント (3) | トラックバック

2004年09月10日

いつMMORPGまでたどり着くのやら…

トロントの小谷くんがコメントをくれているんで忘れかけていた続きを書いてみるか。

小谷君というのは僕が担当していたネットワークゲームのゲームマスターをやっていてくれた男で、今は勉強のために海外留学をしているのだ。
当たり前の事だが、ネットワークゲーム運営の肝要はひとつにはゲームマスターであるから、僕の行ったゲームマスターの面接は非常に厳しいものだった。おそらく30倍近い難関だったはずだと記憶している。

で、なにやら書き始めようとは思いたったのではあるが、これからゲームマスターやアドバイザーなど内内の納会があるためとりあえずこれまでの近しい話題だけピックアップしてリンクしておこうっと。
自分用の備忘録なんだけどもね。
つか、もともとこのblog自体がそうだったんだけどなぁ…


以下、これまでのエントリーから関連リンクなど

んでは飲みに行くかにぃ。

投稿者 KQZ : 06:07 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月07日

おお、3.11とは

http://www.movabletype.org/news/2004/09/movable_type_311_released.shtml

予約投稿とかは色々組み合わせると楽しいことになりそうな予感。
幾つかのblog同士で仕組んでおけば時限でゲームブックっぽいのもできるかも。>関係者各位
Berkeley DBからMySQLにでもしますかにぃ。
そこらへんどうすか?>eyesさん (人任せ~)
移行手伝ってくれたら飯くらいはおごりまっせ。

投稿者 KQZ : 05:41 | コメント (3) | トラックバック

2004年09月03日

視力の届く範囲と歩くスピードとで僕らの思考範囲は決まっているのだろうか

なんだか知らんが変なタイトル。
いや、いつでもなんかしらを頭の片隅で考えているわけで、今日自転車に乗っていたときに思いついた事を書いてみるだけだったり。

ウチからふと見上げると六本木キルズが東京の空を肉厚な稜線で切り取っているのだが、遠くにあるように見えても歩いてみればまぁ10分程度で着いてしまうわけだ。

もし僕が粘菌のように一日に50センチとかしか動けないような生き物であるならばたどり着くまでに一万日かかるわけで(計算あってるのか?)、つまり人生の大半を必要とする大事業になるということになる。
もちろん粘菌には自分が一生をかけてもたどり着けないほどに遠い(つまり自分の存在がインフルエンスを与えない)存在を認識することは出来ないだろうとも思う。そのように自然の摂理は出来ているというわけだ。もちろん1万日も行き続ける粘菌もいないだろうし、そこらへんはバランスというか。
逆に、そのような移動をあえて行うことが出来るのであれば、それは僕らの“移動スピード/思考スピード”の組み合わせを持つ生物からは全くかけ離れた哲学/思想を持っているであろう事は想像に難くない。

一方で僕が鷹や燕のように時速100キロとかで飛ぶことができるのだとしたら一瞬でたどり着くことができる。それこそ思考する暇もないくらい。(いや、思考スピードが移動スピードと正比例するのであればその限りではないがその可能性はここではとりあえず置いておく)
加えて考えるに鷹や燕は非常に遠くまで見通せる視力を有している。

ここまで考えると、その生物の持つ視力(知覚能力)の限りの最果てへと到着するまでにかかる時間というものは、もしかしたら人間が遠くを見渡してそこへたどり着くまでの時間とあまり変わらないのではないか、という茫漠とした感想も沸いてくる。
※渡り鳥などの生態に関してはここでは置いておくとして。「意思」の問題だからね。

ここで歴史を振り返って考えてみると、人間という生物はおよそ自分の知覚能力の範囲を大きく超えた旅をすることも多い。潮の流れに乗って環太平洋文化圏ができた… などというのは恐らくは意思を持った旅ではなかっただろうが、少なくとも江戸期には東海道を定期的に旅していたわけだ。しかし自主的に東海道を旅をしていた犬や猫はいなかっただろう。いたとしたら長靴を履いているに違いない。
ここには“情報”という「自分以外の知見」に対応するモチベーションがあったということなんだろうかな。
「寒くて仕方がない」という生物的モチベーションから追われるように地続きのアリューシャン列島を横断した、などというのは正しくは「意思」の問題ではないだろうが、そこであっても世代を超えたモチベーションの伝播はあったのだろう。

でもってさらに飛躍して、これが松や杉などの樹木であるならば、自らの移動ははなから諦めて種子や花粉を遠くへと播布するという「哲学/思考」がメインになるのかもしれない。
縄文杉やメタセコイヤなど、生き抜いていくスパンが人間とは比較にならないほど長いものもあるわけで、さらに“移動スピード/思考スピード”の組み合わせが異なるため全くかけ離れた哲学/思想を持っているのかもなぁ、とも思う。

時に、人間が自らの移動能力をはるかに超える場所(分野)へと移動したい(関与したい)場合には自転車や車、飛行機、ロケットといった移動機関を発明してきたという歴史がある。
(なぜ樹木と違うのかというと、ココの距離部門によれば最大で飛ばしても35メートルだから、ということなのかもしれない)
「移動距離」以外にも「時間」を超えるということであれば文字の発明による情報の伝播が大きいのだろうか。
見る前に飛べ方式の無鉄砲な輩による辺境の拡大というのも文明のあるステージにおいては意味のあることだろう。
一方のバランスの軸となる知覚能力についてもそうだが、電子技術による知覚範囲/作用範囲/スピードの拡大という面も多分にある。

さてここでさらに飛躍して人ではなくマシンについて考えてみる。
たとえばグリッドコンピューティングは…

…なぁんて事を縷々考えていると六本木ヒルズに着いてしまったのだった。
5分の思考範囲なんてのはこんなもんだわな。

投稿者 KQZ : 12:52 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月30日

人間同士出会いたいよね、ですって

27日のエントリーへにいただいたケンさんからのコメントへのレスというか。

あと遠藤さんの半角スペースの話も爆笑でした(謎)

この「遠藤さんの半角スペース」というのをかいつまんで説明すると、
なにかのサイトに「遠藤 雅伸」と苗字と名前の間に半角スペースを空けて登録してしたところ、
来るエロDM来るエロDMに「ホントに会いたいんです。 遠藤 雅伸さんはリアルで会うのとかは苦手なんですか?」とか不自然に半角が入っていたりして可笑しくてしかたがない、という実体験のお話なのでした。

で、いい忘れていたのですが近頃ボクの携帯にはよく「やっぱり人間同士出会いたいよね」というのが入って来ているのです。
これなんかはエロDMの書き手がドツボに嵌まってしまって
携帯出会い系サイトはcgiによる自動返信が多い
ってのがデフォルトだという事を、自分達がバレないようバレないようと気にしているからこそ逆にこんなレベルの低いところで露呈してしまってるんすよね。
こんなんじゃ釣れる客も釣れないのに。

その点、どんな時でも「何を言ってるんですか、ミッキーは世界で一人、ですよ」と社員が本気の満面の笑みで答えてくれるディズニーはやっぱりすごいよなぁ、と適当に締めてみました。
どこで言われたかはいつもの通りナイショだけどもね。何を聞いたのか、はさらに秘密。

携帯の迷惑メールでいうと他にも vodafone の mailer-daemon を装って送信メールエラーにして来るというのも流行みたいな様子です。
これなんかは「受け取り拒否」と赤字で書いて相手先までタダで返信するという古式ゆかしいテクニックとおんなじですなぁ。
つか、気づいとけよ。>携帯各社

自動応答エロ出会い系システムに話を戻すと、このサイト(http://www.authenticbar.com/)なんかの管理者さんが昔々そんなシステムの構築学術的実験をしていたような気が。
トロチチとか(力及ばずながら)マラカス電気科学とか、お話系ゲームを作っている人間が手を入れれば応答用シソーラスやルーチンは飛躍的に高機能になりそうなもんですが。
いや、仕事として受けるとかいう話ではないのでその点は注意されたし。>どこかその筋の方々

投稿者 KQZ : 11:58 | コメント (2) | トラックバック

2004年08月17日

つぶれた酒蔵についての王様の耳はロバの耳

とある酒蔵がつぶれたらしい。
女性が蔵を運営しているという事に加え、彼女が蔵に入るに至った経緯というのがドラマチックでもあり、それなりにメディアでも取り上げられていた蔵元だったのでこれを聞いてショックを受けた人も多いのかもしれない。
でもねぇ…

数年前、この女性の蔵元さんに大声で怒鳴りつけられたことがある。
(聞けば彼女のお母さんもそういう人らしいのだが、その時には知らなかったのでもんのすごくびっくりした)
とある「日本酒を楽しむ会」的なイベントに彼女がゲストの一人として呼ばれていたのだ。
100人を超えるお客さんが利き酒をしているところに一時間くらい遅れて彼女が登場。諸先輩の蔵元さんは既に法被を着てお客さん対応に忙しい。彼女のブースには蔵元さんがいないので、お酒を飲みたいお客さんに対しては近所の蔵の方が交代交代で対応してあげたり、それでも足りない場合には僕ら主催者にやや近い人間が吟醸と普通酒の違いといった当たり障りのないことを説明してみたりして。
ややあって、主催者と挨拶を終えた彼女が自分のブースに登場したんだが、んー、化粧臭いんだよねー。それはそれでいいんだけどもさ。
彼女とは面識が無いわけではなかったので挨拶などしていると、周囲で待ちわびていたお客さんたちが口々に蔵の新製品についてなど和やかに質問をし始めた。色々と取り上げられていたから有名人だったしね。
質問自体は別にごくごく普通の質問だった。たとえば「ラベルに記載されてないけど使用米はなんですか?」とか。そしたら彼女「新潟のお米です」と答えるのみ。
今度は僕も質問したくなり「新潟の米… 近頃は食米で作られることも多いですから、それですかね?」と聞いてみると「新潟は新潟です。そんなこと答えられません!」などと言い切られてしまいその近辺にいた人間は全員ポカーン。
見かねた隣の蔵元さんが「えーっと、○○は五百万石ですね、60%精米の」と関係者用パンフレットを裏返しながら助け舟を出してくれた。ということは秘密にしていたわけではないらしい。もしかしたら自分のところの製品の米を把握してないとか? という疑惑が急浮上。まさか、そんなことはないだろうけど…
別のお客さん同士が「私大吟醸が好きなんですけど、どうしても生酒とかって苦手で…。ほらこのニオイとか」などと話をしている。興味があったので利き酒してみるとわっかりやすい生ひねが入ってしまっている。日本酒という酒のうち「生酒」というカテゴリーが全てそうだと思われるのも困るので「いや、生酒でも本当の絞りたてはもっと美味しいんですけど…。これだったら少しだけお燗して飲んでみたらどうでしょうか?」と蛇の目利き猪口のまま燗用のお湯にどぶ漬けして日なた燗程度にして飲ませてみるとこれは気に入った様子。生ひねは作った人というよりは会場にお酒を運搬した経路の問題なので仕方ないのでこれはこれでいいとして。

バイキングブースがオープンしてお酒のコーナーからお客さんが引けたあとに彼女と世間話をしていると、自分のところの蔵の酒に関しての感想を聞かれた。
正直に利き酒しながら「この△△ですけど、残念ながら生ひねが入っちゃいましたね。今度ちゃんと飲んでみますよ。こっちはちょっと甘めで…香りが立って…酵母は…アルプス系の香りもしましたけど…」などと話していると態度一変の大激怒。
曰く「私は忙しいのにココに来てあげているの。当然ギャラも無しなのよ。そんな文句ばっかりいう人とは話もしたくありません。大体失礼だと思いませんか? 米とか酵母の種類なんて関係ないじゃない。お酒は生きているんです。毎タンクごとに味が違うんです」 …云々かんぬん。
いや、あの、俺らはギャラとか以前にお客さんとしてお金を払って来てるわけで、今言ったことにしても文句というよりかは感想とか質問なんじゃないのかな… それと後半貴女が言ったことめちゃくちゃだし… とかとか言おうとも思ったが、あまりの剣幕になんだか気が抜けてしまって空いた口がふさがらなかったことを覚えている。ひょっとして賛美して欲しかったのに僕らが質問なんてしたからなのか…?
空気を読んだ主催者があわてて駆け寄ってきて僕らを引き剥がし双方に平謝り。
しかし、米や酵母の種類を聞きたがる人は多いと思うぞ。パンフレットには書いてあったみたいだしなぁ。感想を聞いておいてそれはないだろうに… とかとか頭に渦巻いてたんだがとっさのことで空白になってしまっていた。

ともあれ、悪気は無かったのだがなにか態度などで癇に障ってしまったのだろうと思い、帰り際に一応謝ってみたのだが、逆に指を指されて「あなた方の無礼は一生忘れませんから!」などとわめかれてしまった。いや、この会場にいた関係者全員も忘れないだろうともよ、貴女のことは。
(この話の大半は四谷三丁目の某居酒屋の若旦那も一緒だったので興味がある人はそっちでも聞いてみるといいだろう。脚色は一切していないことが分かるはずだ)

そんなことがあって以来、編集者から彼女の蔵について何か書いてくれと言われても全て断ってきていた。僕はちょうちんライターではないし、別の仕事も色々やっていて大抵の編集者よりも収入もある。だから生活のために自分が納得しないものを書く必要もないしな。(これについては音楽ライターをやっているときも同じなのだが) 結果的に自分のライターとしての仕事を少なくしてしまったのかもしれないが、ちょうちん記事を書くよりはよっぽどましだ。
ただ一回だけ、日本酒業界に対して何かのイメージアップに、という観点で彼女が蔵に入るに至る話をコラム的に書いたことはある。が、一言も「美味しい」などといった味については書いたことはない。「途上中」「注目が集まっているだけに期待が…」とか書いてごまかしたんだっけかな。(笑)
とはいえ一般的に彼女の蔵については、自らを酔っ払いだとか規定している有名ちょうちんライターの手による大賛美記事が世の中には出回っているだろう。ちゃんと飲んで書いてるかどうかはしらんがね。(苦笑) 飲んでみて、それで語る、それが健全な(いや普通の)あり方だと思うのだが、自分の友達だからといってこの上も無く誉めちぎるというのはあまり見ていて美しいものではないと思う。

そして。
数ヶ月前、とある蔵元さんと話しているときに彼女の蔵の話になった。その蔵元さんは蔵同士がご近所で、先代先々代からの付き合いもあり後見人的な立場でもあるので、事あるごとに数年前のパーティーでのことを謝ってくれたりもするのだ。
ところがその時に聞いたのは、「○○の蔵だけど、どうやら今年は米を買ってないみたいなんだよ」というお話だった。その地域の蔵元さんはある程度共同でとあるところから酒米を買っているのだが(あー詳しくは書けないけど)、今年(の造り)はどうも米を買っていないようで、つまり今売っている酒はいわゆる『桶買い』というヤツだったのかもしれない、という事なのだ。もちろん全部共同購入しているって事ではないとしても。今回の残念な話を聞いてやはり根は深かったのだなぁ、と思いやるのみ。

趣味だからというか仕事柄からしてというか、沢山の酒蔵さんや杜氏さん、蔵人さんと話したり飲んだりしていると(取材もするが近頃飲んでばっか)、一人たりとも悪い人がいないのがとても心地よい。亡くなってしまったタケダワイナリーの若社長も飲み友達だったけど惚れ惚れするほど楽しくて熱い男だった。
確かにこの10年、全国で酒蔵がものすごい勢いでつぶれている。でも頑張って大きく伸びている蔵もたくさんある。みんな凄く真剣に自分の仕事のことを話してくれるし、飲み手の話も嬉々として聞いてくれる。
彼女の蔵はとても注目度が高いので、単に一軒の蔵がつぶれたというだけではなくてイメージ的にはもっと大きなものになってしまうのだろうとは思う。
でも、ダメなところは変に固執せずに退場して別のことをすればいいと思うのも事実。好きなことを誇りを持ってできないのであれば。家に縛られていやいやする仕事ではない。

まぁ長くなってしまったが、言わんとしたいことはただ一つ。お疲れ様でした、ってこった。


(このエントリーは潰れたと判った時に書いてたんだけどタイミングをはずしてアップしてみたりしてー)

投稿者 KQZ : 01:02 | コメント (7) | トラックバック

2004年08月16日

モノポリーとUNO

何日か前のエントリーで書いた気の合う古本屋で見つけた一冊。
「モノポリーで学ぶお金持ちの法則」(アラン・アクセルロッド著・ダイヤモンド社)
なんだか久しぶりにモノポリーがやりたくなってきた。

多分最後にモノポリーをやったのは数年前のひげひげ団モノポリー大会だったか。
ひげひげ団にはモノポリーの日本チャンピオン経験者が二人、決勝トーナメントまで残った人が数人と強豪がごろごろいてやっていてとても楽しい。某有名モノポリーゲームのプログラムの中の人もいるが、そういった強豪ぞろいの中で数回優勝したことがあるのが自慢だったりする。

さて、この「モノポリーで学ぶお金持ちの法則」は、モノポリーと実際のビジネスにまつわる話題を縷々つなげただけという安易な本なのだが(指貫をコマに選ぶ人は負け組なんですってよ奥様!)、『公式ルールを守らない奴は退場しろ』という点にだけは大いに賛同できた。
もうね、普通にそこらの人とモノポリーをやると自分勝手なルールが横行していてやってられないのだ。
家が払底するようにこちらがわざわざコントロールしてるのにケンタッキー・インディアナ・イリノイに1・1・1あるところに1・1・4と勝手に建て増ししやがったり、ケンタッキーだけを裏返してその金でイリノイの家は残して建て増したり、土地を売る時に「今後二回キミの土地に止まってもレンタル料は取らないこと」とか将来についての特約をつけてみたり、ローンで土地を売り買いしたり、一番ひどいのは止まっただけで買わない奴がいるから「競売!」とコールしたら「なにそれ?」とポカーンとされたりもするのだ。
この本によると、「TAXで徴収された金員を集めておいてFree Parkingに止まった人が総取りできる」なんていうローカルルールすらあるらしい。もうそんなん違うゲームじゃんか。 (;´Д`)
ま、どんなローカルルールでも結局は勝つんだけどな。(←尊大)

大抵そういう奴は勉強もさほど出来なかったし仕事も出来ない人が多い。(と、こんなところで憂さ晴らし)
だいたい一般人が適当に思いついたルールよりは長年培ってきたルールの方が面白いことが多いのだ。まずは公式ルールをやりこんでみて、そのあとに特殊ルールでもやればいいのに、ともったいない気持ちでいっぱいになる。

UNOも好きなのだがこれまたみんな公式ルールが全くといっていいほど無視されている。というかモノポリー以上に公式ルールは守られていないと思う。
→ちなみにUNOの公式ルール: http://www.plaza.across.or.jp/~fujicawa/bible/bible/uno.html

「Draw Twoがでたらもう一枚Draw Twoを出すことによって次のプレイヤーが4枚引かねばならない羽目になる」とか思っている人が多いのではないかな。「チャレンジ!」とかってやったことがない人も多いと思うし。いっぺん公式ルールで2~3時間やってみるれば運だけではない戦略ゲームだってことも分かるはずなんだけどもなー。

とはいえ、UNOに関してはお手軽にその場その場の色々なルールでやることが多いのだが、ことモノポリーに関しては適当なルールでやるのはちょっと耐えられない。(説明する時間に徒労感を感じてしまうというのがホントのところなんだけど)
それだけモノポリーには魔力があるってことなんだろう。
オレが子供だって事なのかもしれないけどもにぃ。

そういえば放送作家の大先輩から萩本欽一@「謹んで大将と呼ばせていただきなさい」宅での七並べについて聞いたことがある。毎回毎回ルールがころっころ変わるらしいのだ。これはこれで面白いし、「盛り上がるルールを決めたもの勝ち」ってのもありだと思う。そんなMMOでも考えてみますかねぇ。

投稿者 KQZ : 09:20 | コメント (9) | トラックバック

2004年08月11日

PCから名前を呼ばれる、ということについて

随分前に「Mailing ListやWebに関していえば「人称」とか色々書けるけど…」などと書いていたが、その続きになる。

子供の頃にゲームセンターに行くとハイスコアに名前を載せるのが楽しかった。
思うに自分のやった経緯や結果が なにかの形に残って 今はここにいない他の人に顕示できるというのことにわくわくして面白く感じていたのだと思う。
その点ではラスコー壁画に絵を描いたり法隆寺のそこかしこに宮大工が落書きをしてしまったのも同じ欲求の発露なのかもしれないが、これを犬のマーキングとかいった話に発展させるのはこのエントリーの本意ではないのでやめておく。多分違うしね。

これをもうちょっと考えていくと、さらにそこに「活字の威力」が加わってくる。
雑誌に何かを投稿して自分の名前やペンネームが活字になることに生きがいを見いだしてしまうのは、なにも葉書職人の中高生だけではなく新聞の俳句欄に投稿する70歳の爺さまでも全く一緒のことだ。
クレイジークライマーのハイスコアにJORDAN.LTDと入れればクレジットが加算されるのは分かっているのだが、自分の名前を入れてしまいたくなってしまう誘惑といつも戦っていたのは同様の欲求だったのだと認識している。それはブラウン管の上であっても自分の名前が活字化した、という意味もあったのだろう。
その先には「ラジオやテレビで名前をタレントに読んでもらえる」なんてのがあるのは自明だから書かない。

さて、時はもうちょっと下る。
思うにファミコンでRPGをはじめる時に自分の名前を勇者につけることができるというのは画期的なことだった。当たり前のことではあるが画期的だったのは確かなのであえて書いておく。
アマンリゾートや日本ではレストランCasitaが行っている顧客の名前を覚える重要性(バイ・ネーム・サービス)でも分かるように、ユーザー(顧客)はそういった点に敏感に反応する。

ゲームの世界でもこれがいろいろと発展していき、Motherでは自分が大切なものの名前が必殺技の名称になったり、桃太郎伝説ではなにかの洞窟のように雑魚敵の名前を嫌いな知人の名前にして蹴散らしてみたり、といった具合になっていく。近年ではトロチチの子供であるトロなどは、仲良くなってくると「…カッキーって呼んでもいいかニャ?」などと言ってきて我々大人をキュンとさせてくれたりもするわけだが、全てこの系譜の上に乗っているといっていいだろう。
物語の中に自分が入っていってしまう驚き、というのは全ての創作物に共通する一つの現れなのだしね。
(またこれは別項だな。経験上MMORPGや放送番組でプレイヤー/視聴者が一番喜ぶのは「自分のやった事がバーチャルな世界に反映し、そして残る」ってことなんですよ奥さん)

話が脱線した。
e-mail、リアルを問わずダイレクトメールが多く届くのだが、「○○さまへ取っておきのお知らせ」などと差込印刷(e-mailの場合ちと違うけど)されていることが時々ある。スクリプトで「 <%name_0> さまへ取っておきのお知らせ」などと記述されているのは分かっているのだがそれだけで少しは印象に残ることもある。(まぁ今はなれちゃったけどもさ) ただ、そこまではいいとしてそれ以外の本文での人称の使い方がとっても下手なことが多いのだ。
そういえば数年前にインパクというイベントの際に日経新聞社の「経済のキモ」というサイトを作っていた事があるのだが、エコノちゃんというキャラクターからのメルマガを毎週書いていたり、今も毎週一万通からのメルマガを書いていたりもする。こういったところで人称の扱いを間違えるととたんに読者はそっぽを向いてしまうから面白い。

たとえばダメDMには、ユーザーの趣味的な話題に言及する際に「みなさんはどう思われますか?」などと書いている場合が非常に多い。雑誌ならともかくDMであるならば言うまでもなく「あなたなら」が正しい。それは受け手がそれを読むであろう場所や時間や姿勢を想像すれば誰にでも分かるはずなのだ。

普通の人称の使い方も難しいが、人称の発語者と受け手との間にある種の関係が構築されているのならば、特殊な人称をわざわざ使うことによってそのソサエティの一体感を確認し連帯を強めることは非常に有意である。
リアル小学生の頃はベストテン全盛時代で、初めてテレビにでた松山千春がファンに対して「お前ら」呼ばわりするのを見て非常に違和感があったのを覚えている。また毒蝮三太夫が近所のスーパーにラジオの公開録音に来た時にも「このクソババア」というのを目の前で見て違和感がありまくりだった。でもこれらもそのコミュニティではオッケーなんだろう。ライオンズクラブではいい親父さん同士がクソまじめに互いを「○○ライオン」とか呼んでて笑っちゃうしね。
そういえばオタクという言葉も特殊使用の人称ではあったな、などと思い出してこの項をあやふやに締めてみる。
我ながら投げやりだなー。

あ、そうそう。
テレビの中、ラジオの中から自分の名前を呼ばれるとびっくりするのは当たり前のことで、スカパーの宣伝で松浦あやがさまざまな苗字(各県で一番多い苗字)をバージョン違いで呼んでいるのも全くおんなじ作用からなのだな。家のリビングで見ているユーザーが多いのだから必然的に前提は家族単位になり、さすれば苗字で呼ばれれば反応があるだろうってこと。少量印刷の技術を使って子供の名前を入れた絵本を作るってのも同じだしね。昔から鉛筆に名前を入れて送ってたのもそうだしさ。

ではWebではどうなんだろ?
amazon.co.jpやその他のパーソナルページを作るサイトは、あらかじめ登録しておいた自分の名前を入れ込んでページが作られる。それをそのまま進めていけば広告でもそんなことカンタンにできそうなもんなのだが。
たとえばPC上の電子名刺やCookieをFlashが読み取って、広告枠内に画面の目の前でマウスを持っているユーザーの名前を入れ込むとか、そんなもんいくらでも出来そうだよなぁ。やってないとしたら怠慢だわな。
もしこういうのが既にあるなら教えてくださいましな。
謝礼はないけど。

投稿者 KQZ : 03:32 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月03日

いきなり暇になってなかむらでお鮨

午後になっていきなり夜の予定が空いたので、小笠原さんと金時と鮨なかむらに行くことに。
店に入ってみると早い時間なのになにやら賑やか。篠山紀信さんのグループが楽しそうに食べていた。そういや前は毎週のようにラゴーラで見かけてたなぁ。


(写真をアップするのが遅れたので更新が逆ですがー)

まずビールをもらって喉を湿らせる。
定番の鮑をつつきつつ、まず東一・山田錦純米吟醸をいただく。
皿にちろりと乗せてある肝ソースを嘗めながら日本酒がすいすい。最後に皿をぬぐうように肉厚のあわびの身で肝ソースをねぶりつくす。東一は夏になり味に重みも乗ってきて酸味とのバランスがよい。特殊な煮方シリーズの煮蛸はほっこりと栗の香りすらただよう。
こりこりとしたアオリイカの耳、油の乗ったノドグロの焼き物などをつまみに飲んだ日本酒は醸し人九平次の山田錦純米、礒自慢の特別本醸造などなど。
握りにうつってからは十四代本丸をお燗でもらう。(↓全部じゃないけどこんな感じ)

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二尾づけの小肌と大き目の小肌におぼろをかませたのが好対照でオツ。最後の干瓢巻きをお代わりまでして満腹。
その後、北白川さまから電話が入り赤坂で合流することに。いつものBambooに行くと小笠原さんが切込隊長と打ち合わせをしたいというので野球の観戦中のところを来てもらう。なんの番組をやるのやら…、ってのはまだわからんが。
コワントローとレモンジュースとを水割りにするとポカリスエットそっくりになるというのが面白くて美味しかった。こういう軽いのもいいやね。

--

で、次の日にさくまあきらさんと食事をした時に教えてもらったのだが、ここでとある評論家の人(?)が、なかむらについてすんごい悪口を書いているようなのだ。
で、じっくり読んでみる。
…んー。
ひどい。内容もひどいが少なくとも推敲くらいしたほうがいいと思う。
内容についても色々気になるところがあるのだが、特に日本酒に関しては「知らないんなら書かなきゃ恥かかずに済むのに…」と思ってしまうほど。
まーなんつーか、そんなに醤油で煮た鮑が食いたきゃ頼めば煮てくれるだろうに。トリ貝も「炙らずにもう一個くれる?」って頼んで食えばいいじゃんか。それでいて生の方が旨ければ文句を言えばいいし書けばいい。そうでないなら黙ってろってんだぃ。悪口を採取しにわざわざいって楽しいのかね、まったく。シャリに関してはいいときもあればあまり感心しないときもあるってのはわかるけどさ。
…と、まぁ色々と反論も言いたくもなってくるが、某SNSでつながっている知人がサイト内日記でこんなパロディを書いていたのが結構面白かったので勝手に抜粋。(一部伏字にしてます)

<<ここから>>

評論家とは思わないほうが無難、友里征耶

最近分別も分かっていない素人が偉そうに飲食店のレビューをするのが流行って
いるようですがこのサイトもそのひとつ。
邱永漢氏のサイトのすぐ直下で2つのキャッチで売り出しています。
曰く「自腹で辛口」「お勘定払うからには言わせてもらおう」。
単行本を二冊だしているという評者の特徴は
有名料理評論家への私怨ともいうべきところでしょうか。
過去の文章を読んでみると、有名料理評論家が仲よさそうにしているだけで
評価は格段に下がってしまうようです。

さて、「鮨なかむら」に関する文章を読んでみると
2日に分かれて掲載するという構成で紙幅には十二分の余裕があります。
驚いたことにこの評者、女性スタッフがカウンターに入っているだけで
「強烈な違和感」「普通の鮨屋ではありえない」
と、既に味に対する評論をシャットアウトしている様子です。
かなり年配な方なので頭が固いのでしょうが、単行本もだしている評論家として
これってありなのでしょうか。

自分が嫌いな有名料理評論家がとある店を気に入っているからといって
味も論ぜず「店のスポークスマン」呼ばわりをするとは陰謀論者と同根でありましょう。
ジャーナリストではなく一般の素人ですから期待する方が無理なのか。

カウンターの中をくさした文章も最高品質は言えないまま
サカナの話に突入しましたが、これまた期待はずれの連続です。
ボキャブラリーが力不足なのです。

なんでもかんでも「これってありなのでしょうか」「如何なものか」と
読者に投げかける文体で誤魔化すパフォーマンスはどうでしょうか。
自分の味覚・見識に自信がないのではと勘ぐってしまいます。
(以下略)


<<ここまで>>

しかしこの作者、ワイン系の友人に聞いてみるとどうもなにかの会で会ったことがある人らしいのだ。
タケダワイナリーで会ったのかな? 大澤さん経由? 宝印刷の野村さん? 棚ちゃん?(…と誰かに聞いてみたりして)
ま、友達にはなりたくないタイプだからいいんだけども。

さくまさんも「なんか悪口書くために行ってるとしか思えないんだよねー。てんぷら近藤なんて改装途中の仮店舗のときに行って『暗い』とか書いてるんだもん。愛がない人間の文章は読んでて嫌だよね」とのこと。
同感同感。

投稿者 KQZ : 11:59 | コメント (0) | トラックバック

理系男子はなぜもてないか、について

shi3zさんのblog「理系の男はなぜモテないのか」から

モテない男とは、問題解決能力が高すぎる男ではないかと。

むーん。
しかしshi3zさんの書き方からして既に問題解決能力値全開バリバリなんすよね。ヨッ、理系!
確かに年収100億円クラスでも猫以外の女性にはモテナイと言い張っている31歳男子も知っている。
彼も問題解決能力が極めて高いのは確かだ。

さて、しかし、それでなのだが、実はそんなことにはあまり興味はない。
まぁネタフリとかマクラってやつね。

続き。
非理系男子≒女性は「論理よりも倫理、理屈よりも情緒を」好むという一般的にもよく言われている傾向があるということから、

そうすると、パズルゲームのように高度に抽象化された問題解決ゲームが女性に人気があるのは不思議ですが、これはまた別の要因によるものでしょう。

と疑問を投げかけている。
確かに「ぷよぷよ」「テトリス」を延々とやり続けている女子はかなり多い。未だにスーパーファミコン版のぷよぷよをやり続けている30歳女子というのが前の会社にいたが、それを女子というか腐女子というかは意見が分かれるところだ。生物学上はもちろん女子のはずだが確かめたくもない。というわけで偉いぞ○○。(と、同期の名前を書きそうになったりして)

もとい。
しかし、翻って考えてみるに「ぷよぷよ」「テトリス」等よりさらに高度に抽象化された問題解決能力を要求されるルービックキューブは女性は苦手だったような気がするのだ。いや、果てしなく遠い小学生時代の記憶なんだけれども、苦手という以前に触りもしなかったという記憶がある。

これはもしかしたら「見て、分かる」という直観性が関係しているのではないかと個人的には考えているのですよ。鳥瞰性ってのとはまた違ってもっとシンプルな見た目と結果の関連ね。
「ぷよぷよ」にしても「テトリス」「コラムス」「パズルボブル」といった女子に人気のあるゲームは、すべて一目見ただけでなにをすればいいのか、なにをしたら高得点に繋がるのかが分かり、一回やってみるだけで連鎖やボーナスステージといったギミックが無理なく理解できるように用意されている。
もっとも「用意」といっても大抵は「偶然巻き起こった連鎖に驚いて」というルートを辿るようにデザインされているわけで、ここらへんを上手にエスカレートさせると「ドルアーガの塔」などのように最終的には人間には分からないような檄ムズのヒントへと繋がっていき、いつの間にか一般の(のめりこむタイプではない、という意味での一般)人でも奥底まで連れ込まれてしまうわけです。そういった意味で遠藤雅伸さん(歴史上の人物だからさん付けでなくてもよさそうだが)は太古の昔から一般人を深みに嵌め込んでいくという悪魔の道筋を模索していたのかもしれないですな。邪神だし。
話を元に戻すと、「ぷよぷよ」「テトリス」の分かりやすさに対してルービックキューブを初見でなにをすればいいのか分かるのには恐らくIQが200あっても足りないだろう。いや足りなかったし。もちろんやり始めればそうでもないんだけど、その前にとっつきにくいので(少なくとも上記の仮説によれば)女性には不向きなのでは、と思うのだ。んで分かってないマーケッターは各面にキティちゃんのシールを貼り付けたりして大失敗をこく、というわけですね。あくまでもたとえ話の話だけどもさ。

話を理系男子に戻して無理やりまとめると「理系ならぬ女性にモテるためには一目で分かりやすくしろ」ということです。(え? これでいいのか??)


それはそれとして、もう一つ問題点があるのです。
shi3zさんはサラリと、

さて、理系クラスに通っていても、彼女がいる男は沢山います。ではどうやって彼女を作るのか?

1.かなり希少性の高い理系女子争奪戦争に勝利する
(以下省略)

とした上で、

1は理系大学だと30対1~50対1といわれる、いわば半導体中のシリコンに対するゲルマニウムの割合くらいの希少価値で存在するゲルマニウム、もとい女子生徒を争奪するものです。これはライバルも多く大変なことになるのであまりお勧めはしません。人間関係も悪くなります。

と書かれてますが、その苛烈な競争に勝利した上でやっと獲得できた彼女は、申し訳ないが殆どがやはりゲルマニウムなのですね。もうね、ゴールドでもプラチナでもなくルビーでもサファイアでもなく、ましてやダイヤモンドであるわけもなく、あくまでもゲルマニウム。
しかも「理系クラス内に於ける希少なる女子」という地位に甘やかされて「あたしはプラチナなのよねっ、跪きなさい」くらいな勢いで盛大に勘違いしてしまっている場合が無視できないほど多いのだ。希土類のくせに。
でもって周囲の理系男子どもも戦後まもなく物資難の闇市界隈で残飯汁やメチルアルコール主体のカストリ焼酎を有難がって押し戴いていたように、たかだか思い上がったゲルマニウム女を賛美せざるを得ない状況に追い込まれてしまうというわけだ。理系食堂で椅子引いたりするなよな、実験用白衣同士でよー。ああああ脱線。
また女性側にしても、若くして世間知がない状態で環境がゆえに巻き起こってしまった過分なモテモテ経験がその後の人生において深く暗い影を落とすであろうことは、僕の出身高校のOGの独身比率が笑っちゃうほど高いことからも見て取れる。(出身高校は男女比が4:1程度なのだ)
また極々稀にゲルマニウムではなく勘違いもしていない本物のダイヤモンドもいたりするのだが、それは誤差の範囲内の僥倖であるのは論をまたない。(追記:shi3zさんはその僥倖を得た方だということがこのエントリーを書いた後にわかりました。さすがは社長!)

しかしここに救いもある。
そういった状況に追い込まれていたとしても人間と言うものは無意識のウチに「やっぱり何か違う」と思うもので、その逃避先としての「自分には妹(ゲームのキャラクター)が居ますから」とか「猫ちゃんかわいいにゃん」はあえて許そうではないか、とまで思っている。
4年間あるいは6年間のこのような理系生活にどっぷりと浸って社会にでた理系男子が一般の女性に対してある種の無気力さを呈してしまうのは、上述したような思い上がり理系腐女子とそれを崇め奉るしかない理系男子といった構造的欠陥の責任でもあるのではないかと思ってしまっている。
僕が過度に思い上がった女が大っ嫌いなのは一部で有名なスチュワーデス嫌いや女子アナ嫌いと根は同じなのだが、理系女子の場合には上述したように「劣悪な環境の中での希少価値」という点を勘違いしてしまっていて見てらんない、ってことなのだ。砂漠にオアシスだと思ってたら世間的に見たら火中の栗だったって笑い話にもなりゃしないってことだよ織間くん(仮名)。

話を戻して無理やりまとめると、「理系女子が勘違いし始めると見ちゃいらんない」「そんな勘違い理系女子をちやほやするくらいならあえて二次元や猫にゃんに逃避してもお父さんは許すぞ」と。(なんかこれも違う気がするがなぁ)


ここで超有名論文をば。
「おたく男は乙女におすすめ」
http://cruel.org/freeware/geek.html

10年前の論文だが、女性サイドから見た場合の理系男子≒おたく男子の価値の見直しとその落とし方、付き合い方が書かれている。
こういう風に分かりやすい理系男子になってサルベージしてくれる乙女を待っている、ってのも一つの手なのかもしれない。
と、無責任に締めてそろそろ寝ようっと。
高い問題解決能力をわざわざ落とすことなんて出来ないのだから。


ちなみにウチもよく「どこで奥さんと知り合ったんですか」などと訊かれることが多く、その度に「僕がまだジャニーズJr.にいた時に彼女がオリキだったんですよー」と普通に答えているのだが、それを信じてくれた人はまだ3人しかいない。
世の中なんか間違っている。

投稿者 KQZ : 04:38 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月28日

電灯線インターネットってそうなの?

中島淳さんのBlogから
http://www.junnakajima.net/blog/archives/000017.html


電灯線利用無線ブロードバンド
13Mbps回線から、道路上の電柱の「WiFiリピータ(?)」まで引き込み、そこからは最大3Mbps(方式なんだろ?)の無線接続で家庭まで結ぶとな

アメリカならそうだろうけど日本だと違うのではないかなぁ。

アメリカだと家庭までインターネット接続環境を引っ張ってくるのが大変な地域が多いのは分かるのですが、こと日本であればさほど問題は無いのではないかと思うのです。
それよりなにより問題が多いのは家庭内の接続だと思うのです。

随分前に某家電メーカーの提唱した規格(テレビ放送の例のあまった水平走査線を利用したデータ放送ね。どこだかすぐばれそうだけど)にのっとって番組を作ってた事があるのですが、一般ユーザーはビデオやテレビを絶対に電話線に繋がないのですね。
ええ、驚くほど。
コンセント以外のものは繋ぎたがりません。
大体テレビのある場所と電話のある場所が遠かったりするのですからどうしようも無いお話。テレビの裏なんて手狭な上にごちゃごちゃしているものですから線を引き回すのも億劫になってしまいます。
海外では家に届くまでのラスト・ワン・マイルが問題になるのでしょうが、日本の場合は「電話線」と「ネットに繋ぎたい家電」との間のほんの数メートル、建築寸法で言う一間ばかしの距離が非常に遠いということです。

これがCVCS(Central Vacuum Cleaning System:集中真空清掃設備)みたいに家のどこででもコンセントを繋いだだけでネットに接続できればもんのすごい楽なのですよ。
無線LANも楽だけど見えないつながりというのは不安感がどうしてもぬぐいきれない。(機械オンチのウチの兄貴なんかでも「電波が漏れてネットを勝手に使われたりするんだろ」とネガティブな報道には敏感に反応したりするもんですし。いつかこのことについても書くかも)

で、恐らくその際にキーになるのは配電盤だと思うんですね。
家庭までxDSLもしくはFTTHなどの何らかの形でネットが接続されてそれを配電盤で一括で受け、あとは配電盤⇔家電製品の間でIPv6なんかでしゃべくりあえば理想の家庭内電灯線インターネットが完成するはず。屋外から家の家電製品にしゃべりかけるときも配電盤経由で一発だし。
何年か前に「ホームサーバーは冷蔵庫だ!」とかどっかの教授が言ってましたが、冷蔵庫なんて振動が激しくてHD載せられませんがな。電源が必ず入っていて家庭内のどの部屋にも繋がっているというのだったら配電盤が一番でしょう。たぶん。それにあんな場所にあるものなら毎日見るもんでもないので多少大きさがルーズでもオーケーだし。既存パーツのアッセンブリ程度でラフなものはできるかな、と。
で、まずはノートPC用の電源作ってる会社と組んで、同時にコンセント側で10base-Tと電源との分離させる電源アダプターを作り、初手の売り込み先は東急インとかのビジネスホテルチェーンでネット対応を急いでいるところに屋内ネットシステムとして電源アダプター込みで… なぁんてラフラフな企画書は3〜4年くらい前に書いていたのですがほっぽっといたままだったのでした。こういう海のものとも山のものともつかない思いつきを面白がってくれる中島さんみたいな変わった先輩は既に会社にいなかったし。

ということで、数年後街角ででかい赤い袋に入った配電盤を配っていたら、たぶんそれは僕の企画です。
つかこんなの既に遅いな。(笑)

投稿者 KQZ : 09:30 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月23日

小津安二郎とアーケードシューティングゲームとは等しいかも、というお話

ひげいとう大師匠からのコメントもあったのでちょっとずつでも書いてみますか。
先日のひどいサイトの話で思い出したこともあるのでアートと実用の差ってとこに落ち着くのかもしれないけど、まぁ適当に。
(以前、似たような話をどっかの専門学校で話したこともあるような気がするけど、脱線してそこまでたどり着けなかったような気もするー)

高校生時分だからもう20年近くも前、レンタルビデオで小津安二郎の映画を何本か借りて見たことがある。よくある話だ。
絵のキレイさや静謐さなどが印象深かった等というのはともかくとして、その後のベンダース作品を観て知っているひねた高校生からすると正直過去の作品でありテクストとしての摂取でしかなかった。
もちろんそれなりに(高校生なりに)感心はしたけども。
そして大学に入り、名画座で同じ小津作品を観た時にはっきりと分かったことがあった。
小津作品て饒舌なのよ。目が離せない。
あー、こりゃリモコンと電話が悪かったんだな、と。
ちなみにこの頃から視聴姿勢ののめりこみの差を「つま先」とか「かかと」とか思い始めたような記憶も。

ビデオやDVDで映画を見るときには(あ、ちゃんと「見る」と「観る」を使い分けしてるっすよ)どうしたってリモコンと電話の呪縛からは逃れられない。
途中で止められるし、巻き戻し出来るし、だからいつだって電話がかかってきても大丈夫だし。
真剣に観てるつもりになっても感覚としてはそうではないということだ、という事に気づいたのだ。

対して映画館に行くというのは、上映時間に合わせて映画館に行き、トイレにも行き、電話の電源も切り、固定された席に座り、周囲の観客に気を使うがゆえに会話をすることも無く、暗闇の中で、ただただ映画のみに没入する姿勢を余儀なくされる、という事になる。
つまり逃げられないし、(観客からみて)自由度がないというわけ。
決められた時間を拘束され、監督の意図するような映画世界に無理やり晒される、それが昔から連綿と続いてきた『映画鑑賞』だったわけだ。

これら二つの差異が観客にとってどのように関わってくるのかを考えると面白い。

てなところで、いきなりゲームの話にしてみる。
(放送型コミュニティと通信型コミュニティ、なんて話もできるけどそれはまた別のお話)

現在家庭用で売れている板物ゲームというのは、ソフト本体(CD-ROMなどの追加記憶できないデバイス)と記憶デバイス(メモリーカードね)とで成り立っており、適宜セーブができ、リセットを行うことで随時戻ることが出来るようになっている。
(註:ここら辺を逆手に取ると、カセットを使えば「動物の森」のリセットさんみたいなことが出来るんだな。ちなみにPSなどの場合メモカを取り外される場合もあるので確認のひと手間が必要なので興が殺がれるし書き込み自体もめちゃくちゃ遅いのでこういうことはナカナカできない)
ここら辺のところが、リモコンがあって、巻き戻しもあって、のDVD鑑賞と似てしまっているところだと思うのだ。
関係ないけど、親戚の子供がパズル物なんかをやっているのをみると、すぐポーズボタンを押して休んでいるのをみてびっくりすることも多いんだよねー。緊張感とかドキドキする感覚がおそらくずれてるんだろう。どっちがいいとかいうわけではなくて。

対してアーケードゲームというのは好きなときにセーブできない。ポーズなんてできるわけも無い。トイレにだっていけない。
ほらね、映画館で観る映画に似ているでしょ。

さてさて。
ここで映画/ゲームの内容に踏み込んでみる。

ビデオで見られることを前提とした映画、あるいはテレビで放映されることを前提に作られている映画の場合(あ、僕はもともとテレビの放送作家で、その後広告代理店でCMとか作ったり映画の出資の話にかんでたり、現在はゲーム作ってるので、全部知ってると言えば知ってはいる)、ハリウッド的なアクション物を思い出せばいいと思うけど、細切れのシーン/事件/アクションがざざざざざと連続することによって観客の興味を逸らせないようにしている。
でもこれは実は目を逸らしても大丈夫なのだ。
だってリモコンがあるんだもん。
いわゆる通常の映画というものとは緊張感とかドキドキするポイントがおそらくずれてるんだろう。もちろんどっちがいいとかいうわけではないのも当たり前。
見逃したとしてもMPEG4みたいなもんで、前後のシーンを見れば中間は大体想像つくし、想像の範囲を超えることもあまりないしね。大体メインの想定観客を脳髄液がダイエットコークで出来てるようなアメリ(ry
(しかし、それを逆手にとって豪勢なシーンをさりげなく入れて驚かすってこともやってるけども。いつだってなんだって媒体の特性を逆手に取るのはクリエイターの癖だし)
ゲームで何行か前に書いた文章でいうところの、ポーズありの巻き戻しありの板物ゲームと同じことになるってことです。
(註:テレビやラジオ番組の場合にはCFで区切られたりビデオでの視聴を視野に入れたりするのでそれはそれでまた別のお話。しかしなんで俺ってばこんなニッチなノウハウを公開のページに書いてるんだろ? ひげいとうが悪いに違いない。もっと基本的なハリウッドの脚本の話のダイジェストが知りたかったらここら辺に)

さて、そして小津映画。(無論のこと小津だけの話じゃないんだけど)
逃げられない状況で長回しのシーンをじぃーっと観ていると、もうね画面の隅々にいたるまで気が行き届いてて、ものすごく饒舌な映画だということにいやおう無しに気づかされるのだ。
というか、僕らの周りの日常だっていつもいつの日にも饒舌なんだってことに気づくことにもなるんだけども。

で、それに気づいた後に同じ作品を一回ビデオでリモコンを片手に携帯を目の前に置いて見てみるといい。相当気を使ってみないと没入することは難しいはずなのだ。
携帯はメール着信でぷるぷるするし(これは電源を切っておけばいいが)、飲み物が無くなれば冷蔵庫まで行く事だって出来るし、見逃したと思えばいつだって巻き戻す事だって出来るんだから。
絶対に巻き戻さないと決意していたって「やろうと思えばできる」ってことを無意識が知っているだけで緊張感のレベルはずずずずぅーっと低くなるのだ。

さて、さて。
今では見る影も無いほど下火になっているアーケードのシューティングゲームに思いを馳せてみると、家庭用になってポーズや巻き戻しがあったらどうなのよ、なんてのは想像がつかないと思う。間延びしてしまってやる気がうせること請け合いだ。


(閑話休題というかなんというか)
もしかしたら、と思うことがある。
IMJの三木さんがマリーガル(メディアファクトリー)でゲームのプロデューサーをしていたときに話してて出てきたんだったかな、「演劇も映画も、見る人が少なくなってそれだけじゃ食えなくなってからやっとアートになった。ゲームもそうなるのかなぁ」なんて話をしたことがあるような。いや元の会社の先輩で現ソナーの岡崎孝太郎さんとだったっけか。
産業構造としての話はともかくとして、古式ゆかしいアートというのはそれだけではなくて「見るものの姿勢を規定する」という性質があるような気もしてしまう。関係性というかね。

んで、アートと実用との差異なのだが、例えばたとえば、ISPのページにアートなんかはいらないのだ。
それがこんな腐れページを作って「新しい、ポータルインターフェース」「ぜひいじってみてください。」とかいって悦にいっている輩がいるので困ったもんなのだ。(カッコ内の台詞をぐぐらないよーに)
ユーザーがどういった状況でこのページにたどり着いたのか、どういう体勢で見ているのか、これら課金コンテンツをどう見せていけば「金を払ってみてもいいかなぁ」と思わせることが出来るのか、ユーザーが全く違うアクションをした後このページに復帰したとして果たしてちゃんと繋がっていられるのか、ブックマークできなくてもいいのか、つーかなんだよ色ナビってのはよこんなセンスのねぇページ作ったやつにナビされたかねーよボケ… などなどなど突っ込みどころはいくらでもある。大体キレイじゃないし。
目が離せないのがアートならば、ISPのポータルがアートである必然性は全く無い。むしろ邪魔でしかない。
これを作った輩を元博報堂にして現Beamsの上原くんが切って捨てて曰く「あいつホント馬鹿でさ、お得意(クライアントのこと)の金で調査したり自分の作品作ろうってのが許せないんだよなぁ」「賞でもとって外資系か電通に中途で入りたいんだろ」ですとさ。
あーこわいこわい。

投稿者 KQZ : 12:45 | コメント (4) | トラックバック

2004年07月09日

デバイスと投稿形コミュニティについての話の続き

トラックバックがあったのでエントリーを改めましょか。
しかし何でこんなこと書いてんだろオレ?

さて。
数年前『Check-i-TV』というi-mode対応のPS2ソフトがあったことを知っている人はあまり多くないとは思う。それの運営面も含めた企画をやっていたのが僕らのやっているマラカス電気科学だったのだ。

この『Check-i-TV』、投稿型コミュニティ構築ソフトとして斬新かつ実験的なものだったのだが、通常のゲーム制作会社では運営には全く対応できないだろうということから、SCEから放送作家もやっている僕らに個人的ルートで話が来たのだった。
(当時の細い帯域でそれなりの映像をアッセンブリせねばならないのでROM側に入れ込んでおくキャストや動きの厳選など使いまわしの面が一番苦労したところなのだが特許とかも絡んでくるのでそれはまた別のお話。通信料も高かったしねー)

さてさて、しょっぱなに取り上げた「ラジオ」とラジオにすごく良く似ている「Check-i-TV」の比較ね。
「投稿によるコミュニティ」という形態は変わらなくてもその手段が「ハガキ」「ファックス」から「携帯」「i-mode」に変わる事によって全く別な展開ができるのは至極当然のお話。
(わかりづらい?
 「参加するにいたるまでの形態」と「投稿できる情報の量と質」の話ね。
 ハガキもしくはファックスというのはラジオ/テレビを視聴している姿勢から、
 いったん書くという姿勢にチェンジしなければならないわけで、
 その際に人間というものは自然と編集作業をするものなのだ。
  ま、重心がかかとより(=視聴)姿勢からつま先より(=参加)姿勢へと移動する時に
  なんらかの編集をしてしまうのが人間なのかもしれない、なんていう言い方もできるのだが。
 んで、一般に訓練されていない人が編集したものはさして面白いものではない。
 どういったネタ振りをすれば面白い反応が返ってくるか、などのノウハウや
 コミュニティのレベルが上がりすぎてしまって新規参入者が怖気づいてしまう際の
 ノウハウなどはまた別の話なので置いておくとして、
 i-modeなどの携帯(まさに携帯だ)デバイスの場合には、
 即時に参加する姿勢に立ち返ることができるという点がこの場合には本論。
 また同時に、PlayStationに対峙している姿勢テレビを見ている姿勢と比較すると
 もう少しだけつま先よりに重心が偏っているという点も指摘しておきたいわけで、
 つまり、同じ手軽な投稿形参加形態でも内実はまったく違うということがいいたいのですな。
 デバイスによって関係も内容もどうしたって変化するというのがミニまとめ)

ということで、我々が新規なことをやっていくために「どこでも気がむいた時に『Check-i-TV』に投稿・参加できる」というところを面白みとして売っていく所に狙いを置いたわけです。
町で見かけた変な人を写真にとって添付して送らせる、とかね。東京夕方午後6時とかいうお題で不思議な絵を送らせるとか。くっだらないコーナーをどんどん作っていって。
もちろん初期にROMに焼きこんでおくのであるから、一年のサービス期間中にユーザーがコーナー自体を遊んでいってどんどん破綻をきたしていくだろう、というところも織り込み済み。
(しかし、なんか今思い出してみるとMoblogっぽいこと志向してたんだな、当時)
SCE側には分からないだろうし、初めはユーザーにもその面白さは理解できないだろうが恐らくデバイスとしての可能性はここら辺だと感じていたのだ。
あとは選択と編集次第。
…とはいうものの、全てが「実験」というくくりだったのでさまざまなことが出来なかったし、しなくてもいい事をあえてしなければならなかったり、というのがオチ。
お仕事ですからなんつーか致し方なし。ここら辺はどうしたって雇われ仕事ではじめてしまった僕らの弱みなのだ。
「金にならない仕事と人生最高の日々」と言い切るshi3zさんがとてもかっこよく見えるわけです。まぁ今はフリーなので別だけどもね。

そうそう、選択といえば。
(以下、閑話休題)
いまatehakaなどのプロダクトデザインで有名な鄭秀和くんと初めて会ったときにここら辺のことをとっくりと話し合ったのだが、選択するというDJ型のデザインというあり方ももうちょっと考えられてもいいはずなのだ。
僕もホンの一時期選曲家めいたことをしていた時期があってクラブキングで当時主宰していた選曲家協会の番号もたしか鄭くんと数番違いだったり、二人とも同い年で建築デザインの学生だったりといった縁から桑原茂一さんに「面白そうだから紹介しようか」と言われたのがまずもって端緒だったような記憶がある。
場所は開場前のRoutinの会場。
その時に二人の間で出てきた結論めいたことが未だにアタマの片隅に残っている。
それは「二枚の(複数枚の)ベクトルの異なったお皿があれば、きっと会場のお客さんをどこにだってドライブできるに違いない」という確信めいたものだったのだ。
何かを提示し、その反応を確かめ、選択し、再提示する、という一連の流れはまさに編集的デザインだ。
恐らく雑誌の投稿ページを舞台にこういったシステムというか様式を確立したのはさくまあきらさんなのだと思うが、残念ながら僕は伝説の「ジャンプ放送局」は読んだことすらないので的外れなのかもしれない。(さくまさんには可愛がってもらっているので申し訳ないのだが本当のお話なので仕方ない)
ただ、現在週刊チャンピオンの読者ページをやっている福本くんに「ボツ葉書って必ずあるじゃん。大量におんなじネタがかぶったりして。それをこうこう…(中略)…とか使うと反応が面白いはずだよん」と自分なりにサジェスチョンしてみると確かに好反応が返ってきたというから、基本のメソッドは恐らく同じなのだろう。


しかし…
はじめのタイトルに書いてしまったMMORPGまで先は長い。
なんだかいつまでたっても進まないなぁ…。(自虐)
Mailing ListやWebに関していえば「人称」とか色々書けるけど、MMORPGについては現在進行形なので…

投稿者 KQZ : 12:33 | コメント (4) | トラックバック

2004年07月07日

「ラジオ番組とネットコミュニティ を読んで」を読んで

このようにやり取りが簡単にできるというのは、僕もshi3zくんも同じHTMLという土俵の上でやり取りができるからだってことがまず第一段階の認識。
shi3zくんは出入力デバイスに関してはあまり重きを置いていないようなのだが(読み違い?)、 僕は逆にデバイスによる規定(規制)からゲームやイベントのアイデアをひねり出すことが多いため、 若干話が違ってくるのでまず最初に書いておく。

んで、前のエントリーでまずラジオ番組のコミュニティ周りについて書いたのは『(主催者、運営者をも含む)参加者同士のコミュニケーションが均等に見える』という点で分かりやすかったからなのだ。
テレビなどの映像系ではそうなりづらいという理由についても書いた通り。
ただ、音楽系で言うとMIDIとかMOD(なつかしー)を流通しあってお互いが相互に乗り入れるというコミュニティがほそぼそとながらも構築されてはいる。
これもまた『送り手と受け手がケンカできるように感じられる』からなのだと思う。
これと相似形のものとして、ネット上のオープンソース&コピーレフトなプログラム群にしたって同じことであるとも思っている。

ここから先は仕事になるかもしれないしならないかもしれないしこんなところに書いているけどひょっとすると僕自身既に手がけ始めていることかもしれないので曖昧に書くが、映像系でも相互にコミュニケーションが取りやすくなって来ているのはこんなところで言うまでもない。
だからといって別に通信回線がどうのとか低廉なDVDカムや編集ソフトがどうのこうのということではない。そんなものは8mmフィルムの時代から連綿とマニアのものなのだ。思い通りの映像を押さえるってのは極めて労力がかかるからコミュニケーションの石つぶてにはなりづらいのだ。
ひょっとしたらケンカの手段になりうる「石つぶて」としてのメディアはフラッシュムービーなのかもしれないなぁ、という漠然とした感想があるわけですな。いやホントに漠然としているんだけれども。

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2004年07月05日

ネットコミュニティとラジオ番組とMMORPGとは一本の線で結ばれているというお話

どうにもコミュニティについて書かねばならないようなのだ。
というのも、よく分からない人から誘われてコミュニティうんぬんという所に誘われたのだが、そこは議論をするような場所でもないがために勘違いしてしまい、かといって使えない道具の上で物を考えたりするのは時間の無駄なのは分かり切っているので、勘違いで迷惑をかけてしまった経緯もあり、一旦自分の考えていることをまとめておくことにしようと思う。

ことコミュニティ構築に関していうと、雑誌のコーナー企画連載やらラジオテレビの番組企画、サイト構築、ML運営、MMORPG運営にいたるまでいろんなことを実地でやっているので、そこら辺をちょっとまとめてみようということだ。
どれも基本は一緒なのでどこまで手の内を晒せるかってとこだろうけども、なんかの習作にもいいかもしんないし。

まず分かりやすいところで、数年前に持っていたラジオ番組のことを書くことにしよう。
我がお師匠さん嘉門達夫さんから「お前ヒマやったらさぁ、番組手伝ってくれへん? いや忙しいとは思うけども」と頼まれて三年ほどFM系の番組を受け持ったことがある。
受け持ちはじめた時には週にハガキが20枚来るかどうかという状態だった。まぁFMだしそんなもんだな。
それが僕が受け持った時から次第にハガキの数が増えはじめ、一年後には週に7,000枚を超える人気番組に成長した。
夏休み第一週ともなれば(隔週収録なので)20,000枚以上のハガキをひぃひぃいいながら読み込んだ物だった。
当時は広告代理店社員をやりながらの二足のわらじ状態だったため、番組のために有給を使ってハガキを読むというよく分からない状況になっていたのだった。なんてったってハガキ20,000枚だ。全部に目を通すというのが番組のパワーになると確信していたためおいそれと手は抜けない。
もちろん局では一番の人気番組となり、FMという枠では空前の投稿ハガキを集める番組になっていた。
テレビ番組の構成作家経験も多々あるが、ここまでダイレクトな反響が来る事はテレビ番組という媒体の特性上ありえないので(理由は後述することになると思う)気合いも乗る訳だ。


さてさて。
以下整理してみる。

ラジオというのは非常にシンプルな媒体である。
情報は音のみに限られる。
基本的にはパーソナリティのしゃべくりと音楽、若干のSEだけで成り立っている。
リスナーの聴取姿勢は一人の部屋もしくは車の中など『個人接触』であり、基本的につま先に重心が乗っている状態である。
つまりこちら側に引き込みやすいのだ。
参加手段であるところのハガキの媒体特性はというと、通常手書きで文字を読みやすく書くと30秒前後までの情報を無理なく盛り込むことが出来る。大人が丁寧に綺麗な文字で書けば1分から2分でも大丈夫。ハガキにはそれ以外に絵を描くことも出来るし写真を貼り込むこともできる。

まず、この時点でリスナーとパーソナリティの関係が『対等な状況に見える』というのがミソなのだ。

リスナーがラジオを聴く『時間』と、パーソナリティーがハガキを読む『時間』、およびその質が、
文字⇒音声情報
という一点で対等に感じられるのだ。
また、そのように感じさせるようにするのが(ハガキで参加、という形態での)コミュニティを盛り上げる唯一の秘訣だ。

(よく分からない? ではこれがテレビ番組だとしよう。
 どんなに頑張ってハガキで応募しても、映像になるためには役者やイラストレーターなどが必要で、
 演出、編集がなされるがため、ユーザーがハガキに書いたものとかけ離れたものが画面上に映し出される訳だ。
 つまり、その時点で投稿者と画面の向こう側のパーソナリティーとの間の情報格差は、
 はじめから対等であるわけがないということが分かり切ってしまうのだな。
 また、テレビへの接触姿勢がさほどつま先に重心が乗っていないということも理由の一つだ。
 あ、「つま先に重心」とかいうのは15年くらい前から僕が好んで使っている用語なので、適当に翻訳してくれたまぃ)

さらにはハガキに絵や珍奇な文字を描かれたりすると、その絵を説明するためにもっとてこずるようにも聞こえてしまう。
つまり『文字⇒音声情報』という公式に綻びが生じるため格好のツッコミどころとなる。
またハガキが届くまでの時間的落差というものも綻びの一つだ。
(近ごろの番組にはメールでの投稿が主だと思うが、その場合には絵の情報や時間的落差による
 綻びの演出は出来ないだろう。その場合は時間的同時性などのメールならではの特性を生かすことになるだろうが、
 番組収録自体は生でなかったりするため困難といえば困難ではあるかな。
 でも統計とかとりやすいから面白いことは出来ると思うが。携帯メールだったらなおのこと色々できるだろうし。
 とはいえ添付ファイルを許すことは基本的に無理だろうしなぁ)

あぁ時間がなくなってきた。
ここまででは
『コミュニティに積極的に参加させるためには、
 コミュニティ主催者側と対等にケンカできるかもしれない、と
 ユーザーに信じさせることができるかどうか』
というのがミニミニまとめだ。
もう一つ言えば『媒体の持つ特有の綻びをうまく利用する』というのもある。
もちろん、自発的にそうさせねばならないのは当たり前のこと。目を閉じさせて「真っ暗だろ」と言い聞かせるよりは、暗やみで目を見開かせて感じさせる真暗闇の方がよっぽど情報強度は強い。
なんか分かりづらいな。時間がないから放っておこう。
ラジオ番組のコミュニティの作り方、盛り上げ方、コーナーの企画の仕方、ネタフリの仕方、他番組他媒体からのパクリ防止法… などなど幾らでも書けるのだがそんなことはこの場合はどうでもいいな。基本が分かれば誰にでも出来ることだし。
各論で言えば「ユーザーをいかにひきこむか」「ハガキ(もしくはメールなどの参加媒体)をいかに選択するか」とかなんだけどもさ。


MLやら雑誌、サイト、MMORPGに関しては…(以下続かないかも)

では生ラム宴会にでも出かけるか。

投稿者 KQZ : 06:37 | コメント (2) | トラックバック

2004年06月22日

数年前に書いていた文章を見つけたのでちょっと修正してみたり

ある日、会社の後輩のHから「Kさん、ちょっと今晩飲みに行きませんか? 相談もあるので…」と誘われた。
可愛がっている後輩だったので何かの困っていることでもあるのだろうと思い、友達のやっている恵比寿の地下にあるバーへと向かった。

時は広告業界がやっとネット広告に目を向け始めてきた頃だった。
その数年前には、同期の亀井と西海岸に二人で出張して某超有名ポータルサイトYへの出資話をいただき、喜び勇んで社内プレゼンをかけた際には「そんなもんで飯が食えると思うのか!」と一喝されたものだったが、その一喝した室長本人が役員会で「私がインターネットを導入したY木沢です」と発表するようになった、ちょうどそんな頃である。

Hが声をひそめて「お世話になっているKさんだから言うんです。300万円出資してください。確実に3億円にはなりますよ」と、こう切り出してきた。

聞くと、ネット広告の専門会社を作るのだという。ネット広告についてはその可能性を大きく感じていたし、第一ネット広告の理論的なところ、効果測定の必要性などはHに教えていたりもしたのだ。当然面白いとは思った。

だが、彼は今ボクと彼が在籍している会社を辞めて起業するのではないという。
勝算は? と聞くと「ボクが広告を売ります」といけしゃあしゃあと答えたのだった。
それって…
明らかに商法、出資法違反だ。
その点を説明するが彼は「絶対に大丈夫です」の一点張りだった。

その時彼はまだ20代半ば。(あ、オレも二つくらいしか違わなかったんだけど)
そんなところで作った3億と、一生の間後ろめたい思いをするのとではどちらが大切なんだろうか。

ちょっと論点をずらして「なぁ、本気でやれるって思うんなら、会社辞めてやったほうがいいと思わないか? 売り手が真剣でないもんを誰が買うんだよ。それだったら300万といわずもっと金を集めて出資してやるよ」と説得もしてみたが「いや、ボクがD社にいてこそ営業ができるんです」と取り付くしまもない。
だからそれはやってはいけないことなんだよ…

話は生き方にまで及んでしまった。

「でもさ、何にするんだよ。別にウチの会社、食うには困らないじゃんか。それなりに遊べるぜ」
「実は、僕は学生の時から映画を作っているんです。起業してお金を作ったら全部映画制作に使います」

一時の後ろめたさは自分の夢の実現のためだ、と言うのだ。
それなら、とこの話は聞かなかったことにしてあげることにした。

数年後。
彼は会社を辞めて、自分が立ち上げた会社に副社長として入社した。それから彼は何冊かの本も出したらしい。
しかし、映画を作っているという話は聞かない。

たぶん、彼は数億円のお金を得たのだとは思う。
ただ、あれからの彼には、面映い言葉で言えば「青春時代」というものがなくなってしまったんだろうと思う。

その後の彼とは、すれ違うことはあるが、見ていてつらい。
彼が本当にやりたかったのはなんだったんだろう。

投稿者 KQZ : 12:37 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月16日

なぜblog

おかしなことにこのURLを定期的に見ている人が数百人はいるらしい。

もともとこの忘備録はblogではなく普通のcgiを使って身辺雑記をしていたのだ。
確か大元は「蒲田ランチプロジェクト」という名称で辺境の地“蒲田”での昼メシ事情を向上させるべく、数人でその日に行った飯屋の感想を書いていくというプロジェクトだったのが、いつの間にか築地で働いていたボクも混ざりはじめて… といった感じだった。いずれにせよ、もう5年以上前のお話だ。意外に歴史あるんだわさ。
そして後にはアメリカ在住の“One Eye EMI”ことエンタメ業界の大先達のエミ・カーベルさんと、ブルゴーニュに住みはじめたイラストレーターのミサヨちゃんに「日本じゃこんなの食べてるよー」「こんなことやってますー」というメッセージ的要素と、雑誌やテレビなどで店情報を書く時に以前行った店や食べたものを覚えておくという実用メモとして細々と続けていくことになったのだった。もちろん読者は身内も身内の3−4名であるので、マスコミに載せる時のような面倒くさい婉曲的な言い回しもしないし、時には仕事上の思いつきのメモも介在しているという、いわば読ませるための体裁を一切とっていないのがものだったのだ。検索できるんで楽なのだなぁ。出先から電話番号とかすぐ呼びだせるし。

経緯はともあれ、ツールとして以前より使っていたcgiが非常に使い勝手がよろしくなかったため、MovableTypeを入れてみたのがもう一年以上前のことだったか。移行するのが面倒でありほっぽらかしていたのだが、バージョンが3.0になったのと仕事がさほど忙しくなくなったという時間的余裕をきっかけに縷々移行して現在に至るという次第だ。

だが、だが。
冒頭にも書いた通り、この数週間異様に読者が多いのだ。
元凶はもちろんボクにある。もっとも後になって気づいたのだが後の祭りという奴だ。
数週間前に、製作中のゲームのテストプレイをした折、小林正和(ハリーポッターには全く似ていない)のリンク先に切込隊長のblogを指定してしまったのだ。そしたらMovableTypeの野郎同士が密談しやがって断りもなしにトラックバックとかいうのが仕掛けられたらしい。さっき設定をよく見たらデフォルトのままだったのでもちろん悪いのは自分なのだが。つかネット暦長いんだから自分のサイトくらい作っとけよ>小林正和 (←八つ当たり)

しかし時間が経っても人数がなかなか減らない。なにか面白いのか? それとも山本一郎の裏話でも書いてあるとでも思っているのだろうか? そりゃ書けることは書くけどホントは女装が趣味だとかは書けないし、ここに書いてある店はヘタすると一人4万とか5万とかするから知らずに行くとひどい目に遭うかもしれないし、日本酒なんかだと年間10本しかないようなものが出てきたりして参考にもなりゃしないってのに。分からん。

まぁいろいろと詮ないことを考えていても仕方がないので開き直ってみた。見る奴は見れ。
ということでSNSとかのプロフィールにも晒しはじめたのが先週くらいだっただろうか。

しかし開き直ってみたものの「一般の人たちはどうやってblogという日経新聞的あるいはサンケイビジネスアイ(こんなタイトルだっけ?)的流行を見せているblogを活用しているんだろうか?」という非常に素朴な疑問は残るのであった。もう半年くらいすると青春出版社BIG tomorrowあたりでも「このblog使いでモテなかった男が三週間で彼女をゲット」「半年で300万稼ぐオレのblogアフィリエイト術」とかいうステキな特集を組むのだろうがそれはまた別のお話。

んで、いくつか人気のblogというのを想像してみると(見て回るほどヒマじゃない)、「●●のつれづれなるままに…」とかいう面白みのないタイトルのそしてタイトル以上に面白みのない内容の日記がまざまざと目に見えるように思い浮かんできた。きっと2週間ほどはなんとか続けられてそのうちネットで見つけたネタを採録するだけになり更新も途絶えがちになりおおよそ2ヶ月くらいでうち捨てられるんだろうなぁ。気の利いた中学生でも躊躇するようなタイトルはそんなにはないだろうが。
ということでgoogle。
→ http://www.google.co.jp/search?q=blog%81@%82%C2%82%EA%82%C3%82%EA&ie=Shift_JIS&hl=ja&lr=

呆れた。
54,400もの「つれづれなるblog」がインターネット空間に鎮座ましまして我々の訪問と「よろしければトラックバックを」をお待ちしているらしいのだ。アホか。寝る。

投稿者 KQZ : 01:31 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月08日

Shi3zの第二法則に当てはまっている私

Trackbackのテストを兼ねてご近所につなげてみる。
んー。
Shi3zさんのblogは面白いなぁ。
戦術系のざっとした斜め読みなら「戦術と指揮―命令の与え方・集団の動かし方」(ネスコ刊 松村劭著)あたりが面白いかと。自衛隊の人とかは考えてるのね、というところも分かるし。
撃破目標というか大元の目的のとらまえ方を間違ってしまうと戦略も戦術もぐずぐずになりますが、そこら辺は「生きのびるためのデザイン」(晶文社 ヴィクター・パパネック著)が秀逸です。

> 私が孫子の兵法がすばらしいと思うのは、戦略的な局面がほぼすべて
> 「孫子の兵法」の組み合わせで表現できてしまうからです。

確かに。
ついでに「八卦」(というか易経)と「タロット」とがあれば森羅万象が表現できるかも知れません。
ハリウッドで導入しているというストーリーテリングメソッドも限定状況のエンタテインメントを作り出すツールとしては興味あるけども。

投稿者 KQZ : 11:40 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月04日

使えない大バカ野郎が斜め後ろに座っている

ほんの少しの計算能力と感情移入能力さえあればたいていの事はこなせるのになぁ。
バランス感覚なんてのはその二つの掛け合わせでなんとでもなる。
あとはメゲない胆力とか。対人処理能力から言えば人懐っこさとか。


…全部ダメダメなのだが、ここの会社の人事はヤツのどこを見て採用したのだろう?
だからタイマー屋ショックとか言われんだろうな。

投稿者 KQZ : 02:23 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月03日

懐かしい人と飲み会

夜になって、Greeというどうしようもなくセンスの悪いSNSで再会した信太郎さんと恵比寿の中村圭太で落ち合う。ま、元201号室っちゅうか。とはいえ30分近く信太郎さんが来ないので心配になって色々と電話をかけてしまう。程なく到着。ビールに泡盛、沖縄料理をつつきながら由無し話からコアな業界話、果ては新規サービスのアイデアフラッシュへと話は続く。こういうのは得意なんだなぁ。途中携帯メールで部下に激を飛ばす信太郎さんになんだか変わらない熱さを感じつついたりして。
23時過ぎに先程携帯に一報入れていた元博報堂・現Beamsの上原から入電。なんでも桜ケ丘のDelfiniにいるらしい。んじゃ合流しますか。自転車を恵比寿駅前に置きっぱにしてタクシーでGO。
おお、なんとそこに見えるは美しい福井女史ではありませんか。彼女がClubkingにいる時にDictionary Webの制作したからよくあってたんだよなぁ。今は上原の会社にいるのね。ふむふむ。これまた懐かしい色々な話をしつつ時間があっという間に過ぎる。終電ぎりぎりくらいになって解散。いやぁ懐かしいわ話は相変わらず濃いわ。
山手線のホームに上がると、床にへばりついたガムをヘラでこそげとる仕事にいそしむおじさんと、どうしようもないほどに似合わないゴスロリに身を包んだお姉さんが左から視界に入ってくる。右からはLPガスを運ぶ貨物列車が新宿方面へと音もなく進んでいく。優美な曲線に前後を絞られた黒い貨物列車の方が赤と白のギンガムチェックのゴスロリ姉ちゃんよりも数十倍キレイで存在が的確だった。黙々と丁寧な仕事をし続けるガム取りのおじさんの方がパフスリーブが力なくたわんだ20代後半の女よりかは十倍は美しい。恵比寿に到着し、そして自転車にまたがる。今日はへんてこな日だ。ODINに向かおうかどうしようか悩みつつ歩行者が切れなかったのでそのまま明治通りを突っ切る。右手に見える九十九らーめんは相変わらず混んでいる。オウムはこう変わったんだっけか。東京の夜は変わらないようで地道に変わり続けていた。今さらながらそんなことに気づいた僕はこの10年間のさまざまな出会いと別れにぼんやりと思いをはせつつタクシーの列を縫い星条旗通りに車輪を向ける。家路は思いのほか近過ぎてなんの結論も出すには至らなかった。

中村圭太
恵比寿南1-18-11西田ビル201
03-3711-5897

投稿者 KQZ : 02:20 | コメント (0) | トラックバック

2004年05月13日

日本のSNSはダメですなぁ

物事の価値をGoogleの検索数でしか判断できない輩が多いような気が。(大前提)

・Greeのデザインのだささ。
 乱立するグループとそこで話されている内容の薄さ、レベルの低さ。
→「乱立」が一番の起因(ユーザーにSFCが多いというのが二番目か)
 →グループを作る際の敷居の低さ。
 →グループをうまく探し出せないデザインの悪さ。
  →1画面50のグループを見ることができるが、ページの一番下に次ページへのリンクがないという
   驚きのクソGUI! つまり、51番目以降のグループを見るためにページをもう一度一番上まで
   スクロールさせなければならない
   →そんなことするのは面倒なので適当にグループを作ってしまう&作れてしまう →乱立

・自浄作用がないためコミュニティ管理にコストがかかりすぎる。というか現状は放棄か。

・OrkutはGoogle OSがあってこそのシステムだが、Greeは既に破綻が見えている様子。
 →知り合いでもないのに人数を増やすのが生きがいの輩が「もうLinkが増やせない」と騒いでいるらしい。
  もうアホかと。きっとGoogleの検索数が価値判断の基準という一人なのだろう。

・Link依頼の際にメッセージがつけられない。
 サービスデザインをした人間は相当コミュニケーション能力が低いのだろう。想像力足りなすぎ。
 リチャード・ワーマンくらい読んでないのか?

投稿者 KQZ : 01:33 | コメント (0) | トラックバック

2003年11月30日

デザートまみれの普通の日

朝起きてパン捏ね。←ここまではテンプレートか?
今日はマカダミアナッツオイルをつかってみる。いつもの蜂蜜の代わりにメキシコのトウキビのお砂糖をつかったので若干水が少ないか? 微妙に調節しながらせっせこ捏ねあげる。ほうれん草とトマトソースのパスタを食べ、その後昨日パティスリー・プラネッツで買ってきたケーキを食べる。おんやぁ? 二つだけじゃなくて5つも買ってある。…犯人はわかっているのだが。柿のシロップ漬けが乗ったタルト、キャラメリゼしたリンゴの乗ったミルフィーユ、クルミの入ったキャラメルのムースケーキをそれぞれ半分ずつ。柿をつかったタルトは珍しいかも。バニラ風味で美味しいなり。
パン生地を醗酵させている間に六本木TSUTAYAに行く。今日は旧作が100円ということで普段あまり借りないものを沢山借りてみる。隣のフードマガジンで買い物して帰宅。
まだ醗酵が終わっていないので戦闘妖精雪風を3巻まとめて観る。うーーーん。思わせぶりな演出は大嫌いなり。「何度も観返したくなる」という一つの定番の評価は、あくまでも「視聴者が面白いと思ったから」という動機づけあってこそなわけで、その上で「何度観返しても新しい発見がある(深さ)」という次のステップになるのだろうが、ここ数年のアニメバブル期に量産されたガサラキみたいな糞アニメは一度見ただけじゃなにがなんだか分からないだけなので正直どーでもいいってな感じなのだ。製作者の頭の悪さと受け手に対する想像力のなさしか感じない。神林長平の原作が好きなだけになぁ。しかしなんでヤオイちっくにしてんだろ? 意味がわからん。
晩ご飯は今日買ってきた東京Xのロース肉を鉄板でソテー。付け合わせはブロッコリーの蒸し焼き。キャベツとトマトとベーコンのスープ。それと焼き立てのパン。塩胡椒とバターの風味だけの東京Xは豚肉の味がストレートで歯ごたえもうまいざます。蒸し焼きしすぎて下が焦げ気味くらいのブロッコリーのくたくた感がこれまたよろし。
食後に大泉学園土産(?)のシュークリームをパクつく。しかしデザートまみれの休日だったのぉ。

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